昭和 堤 勇高 2024/05/02 1円から500円までの硬貨には製造年が刻印されていて、いつ製造された硬貨かそれを見ればわかります。その製造年によってはコレクターの間で本来の値段以上の価格で取引される「プレミア硬貨」になるんだとか。そんな硬貨、昭和○年と刻まれたものが随分と減ったなと感じます。私が子どもの頃、良く光るきれいな硬貨を見ると「あ、平成のやつだな」と思って確認していました。ぴかぴか光る硬貨に惹かれていたのです。ただ、当時は半分以上が昭和に製造された硬貨(私の体感ですが)で、平成のものを私の中でレアもの扱いしていました。そのころから比べると、今は平成の硬貨が大半を占め、令和の硬貨がちらほら。あのころに比べると昭和の硬貨は格段に少なくなっている気がします。先ほど私の財布の中を確認したところ昭和製造の硬貨は2枚しかありませんでした。500円玉はすでに新デザインに変わっていますが、数十年後には昭和製造の硬貨というだけで価値が上がるほど希少なものになっているのでしょうか。大事に保管しておいたらどうなるのかな?とふと思います。写真は先日取材した南三陸町の「海の見える命の森」からとった景色です。津波からの避難場所として整備されたこの場所からの景色は、あいにくの天気でしたがそれでも圧巻でした。次は梅島アナウンサーです。
春と言えば! 堤 勇高 2024/04/12 春が旬の食べ物はとても多いですが、私としてはタケノコに特別な思い入れがあります。子どもの頃、春になると毎年タケノコ掘りに行っていました。地域の集まりがあり、その中の一人が持っている土地の竹林で毎年行われていたイベントです。竹林の中を、足元をよく見ながら歩き回っていた風景はよく覚えています。タケノコを掘る作業自体は非常に簡単でした。地面から頭を出しているタケノコを探し、その周りを小さなスコップで掘っていきます。タケノコのほぼ根本まで見えた段階で大きなシャベルを使い、てこの原理で掘り出して一丁上がりといった具合です。子どもの頃の私は、毎年とにかく大きなタケノコを探していました。参加した人の中で「一番大きなタケノコを掘った人」をとにかく目指していました。毎年毎年タケノコの大きさを求め続けた結果、最終的に根元の方は緑になった「ほぼ竹」状態のタケノコを持ち帰っていました。そんな状態のタケノコは当然可食部が少なく、食べられるのは先っぽの方だけ。料理に使える大きさで言うとむしろ普通のタケノコより小さいくらいでした。子どもの頃の私はそれでも「一番大きなタケノコをとった」ことに満足していました。大人になった今なら、生えたばかりのタケノコの方が可食部の大きさも味も優れているとわかるのですが……。掘ったばかりのタケノコを食べる機会は幼少期以来しばらくありませんが、そんな思い出も込みで、今でもタケノコは大好きです。写真は春らしく桜です。西公園で撮ったものですが、かなり多くの花見客で非常に盛り上がっていました。欲を言えば天気がもう少し良ければ……と思いますが。次は高橋アナウンサーです。
新年度 2024 堤 勇高 2024/03/27 今回から新しいお題「新年度2024」です。年度末や新年度になると思い出すのが紅白餅です。紅白饅頭とも呼ばれるあれです。小学校や中学校では卒業式の日と入学式の日に学校で紅白餅が配られました。多くの皆さんの通った学校でもそうだったと思います。赤いお餅と白いお餅の2個セットで、大きさはこぶしくらい。中にはあんこが入っています。それが熨斗や水引の描かれた箱に入っていて、「祝卒業」や「祝入学」と書かれていた記憶があります。私はあの紅白餅が大好きでした。柔らかいお餅と甘いあんこ。しかも大きさもなかなか。あれをほおばったときの幸福感はたまりません。学校で配られたという特別感もおいしさに拍車をかけたのかなと思います。当然お菓子などを持っていくのはご法度、そんな学校でお餅が配られるというのはそれだけでビッグイベントでした。そんな紅白餅、社会人になってからほとんど食べていません。入学式や卒業式に関わる機会が取材以外にないので、当たり前ではありますが。自分で買えば一発解決ですが、それは邪道な気がするので……。次に紅白餅をもらうのは自分に子どもができて、小学校に入学したときになる可能性が高いですね。その場合も食べるのは子どもか。写真は福島県の観光スポット大内宿で食べたねぎそばです。丸々一本のネギを箸の代わりにして食べる珍しいそばです。もちろんネギ自体も薬味としてかじれます。紅白餅に夢中だった少年時代には食べられなかったであろう大人の味がしました。次は飯田アナウンサーです。
東日本大震災13年 堤 勇高 2024/03/21 東日本大震災の発生から13年。復興の中で、津波の被害を受けた沿岸部を中心に、今でも景色はめまぐるしく変わっていると感じます。たった5年前に宮城に住み始めた私ですら「この前来た時とかなり景色が変わったな」と驚くことが少なくありません。先日目にしたニュースにこんなものがありました。「今の小学6年生の6人に1人が東日本大震災の起きた年月日を正確に書けない」。時間の経過を強烈に感じたニュースでした。マスコミで働く身としては、あの日の出来事について、小さな子供にまで届けられていないことを反省しなければいけないと感じます。今年1月1日には能登半島地震が発生しました。多くの方が亡くなり、多くの方が生活に不便を強いられています。連日のニュースの中では東日本大震災で得られた教訓が活かされた面と活かされなかった面が数多く報じられました。避難の仕方、避難所の環境、現地の医療体制、復興に向けての動きなどなど……。地震を「起きないようにする」ことは現状不可能です。いつかまた大きな地震が発生した際「東日本大震災やその後の地震で得られた教訓がすべて活かされ、守れるはずの命がすべて守られた」という未来。これが私たちの目指すべき未来であり、発生から時間がたったとしても、ニュースで東日本大震災について伝える意義ではないかと感じます。写真は今年の3月11日当日の気仙沼です。風はあったものの良く晴れていて、午後2時46分には多くの方が黙とうを捧げていました。次は千坂アナウンサーです。
最近こんなことしています 堤 勇高 2024/03/04 それほど頻繁というわけではないですが、最近ゴルフをするようになりました。数年前に初心者向けのゴルフセットを買って以降、家で「熟成」させていましたが、最近ようやく日の目を見るようになっています。その程度なのでもちろん技量は「初心者以下」の状態です。その分打ちっぱなしに行くと、うまくボールが遠くにまっすぐ飛んだ時のうれしさが格別です。もちろん何が良くて上手く打てたのかは不明です。そんな、ボールが(なぜか)まっすぐ飛んで、(なぜか)遠くに飛んでいく爽快感が、他大多数を占める「爽快ではない」ショットを忘れさせてくれます。何球か打っているうちに、頭から雑念がなくなり、無心で打つフェーズに入ります。ある意味でゾーンに入るような集中の時間が過ぎていきます。気持ちの良いショットのほかに、この無心の時間も最近ゴルフをやる理由となっています。ただ、先日家に帰ったあとよく考えてみると、集中しているのは良いとして無心であることは果たして良いことなのかと気づきました。何も考えずに打っていて一生上手くならないだろうと。このままでは多分いつまでたってもカッコ悪いフォームのフニャフニャショットしか打てないことになりそうです。コースに出て爽快なショットを打つことなど夢のまた夢。今後はそうならないように気を付けながら上達していきたいと思っています。あーでもないこーでもないと考えながら打つと、奥深さが魅力に思えるかもしれません。写真は雪降る仙台駅です。この日は風も強く吹雪のような状態。駅舎の上にある「仙台駅」の文字にも雪がついて、オレンジから白になっていました。次は高橋アナウンサーです。
寒さの話あれこれ 堤 勇高 2024/02/06 今年は暖冬と言われていますが、当然寒い日はとことん寒いですね。数少ない雪の降った日などはなおさらですし、風が吹けばより一層です。先日、スキー場に取材に行きました。仙台市内の平野部でもまとまった雪が降った日で、雪不足に悩むスキー場や利用者の声を取材するという内容でした。雪不足でクローズだった複数のコースを営業する目処がつき安心していたスキー場。新雪で滑ることができて喜びの声が聴かれたスキーヤーとスノーボーダー。まさに恵みの雪でした。一方で平野部ではそれほどでもありませんでしたが、スキー場では風がとても強く吹いていて一時はホワイトアウト状態に。私も万全の防寒対策はしていたつもりですが、肌が少しでも出ている部分は無数の針を刺したかのような痛みが走るほどの寒さでした。何度もゲレンデと室内を往復して、寒さを耐えしのぎながら取材を無事に終了させました。これで一件落着ということで帰りの車に乗り込み少しすると、指先にピリピリとした感覚が。それから少しすると耳にも同じようなピリピリが現れました。何年振り、何十年ぶりかもしれませんが、しもやけ(多分)になってしまいました。その日はその後1日中定期的に、特に指が痛痒い状態が続き、なかなか仕事にも集中できませんでした。症状自体は軽かったのか、次の日にはかゆみも収まりましたが、子どもの頃に味わったあの症状を、よりにもよって暖冬の今シーズンに味わうことになるとは思いませんでした。写真はそんなスキー場取材の際に撮った一枚です。顔は全く出ていませんが(笑)次は寺田アナウンサーです。
試験の思い出 堤 勇高 2024/02/02 何か資格試験を受けたいと思う今日この頃です。具体的に何の資格を取ろうかなどは「検討中」です。なぜそんなことを思い始めたのか。有用な資格を取りたいということはもちろんなのですが、裏テーマとして「集中力を取り戻す」があります。学生時代は数か月に一度はテストがあり、その前には試験勉強としてまとまった時間勉強をするサイクルがありました。特に大学受験の時などは学校から「平日に授業以外で8時間、休日は10時間以上勉強だ!」と言われ、達成したかは怪しいところですがそれに近い時間は頑張っていたと思います。試験の思い出と言えば、試験本番よりもまず「よくあんなに長時間集中して机に向かっていたなあ」という試験勉強の思い出が蘇ります。社会に出て、オンエア―に臨むときなど、短い時間に一点集中で集中(ややこしいですね)する場面はむしろ増えましたが、試験勉強のような長時間一つのことのみにジッとして取り組む機会は減りました。そうなると、じっくり取り組む必要がある仕事をしているとき、自分でも驚くほど早く集中が切れてしまいます。集中の持久力低下とでも言いましょうか、それをここ数年感じていました。集中の持久力を取り戻すにはやはり学生時代のように試験勉強をするのが良いのではないか?ということで検討中なのが資格試験ということです。では何の資格を取ろうか?とまずはどんな資格があるのか調べています。……調べているんですが、その最中に集中が切れて気が付けば別のことを検索しています。乗り越えるべき関門はいくつもありそうです。さて写真は「ローザ・ロッサ」という赤ワインとアマレットのカクテルだそうです。味もそうですが2色に分かれた見た目がきれいだったのでパシャリ。しかし確認するとピンとは奥のマドラーあたりに合っていて、肝心のカクテルはボケてしまいました。集中!集中!次は飯田アナウンサーです。
2024年どんな年に? 堤 勇高 2024/01/05 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。さて、最近私は自炊を再開しました。去年の11月ごろから続けています。社会人1年目に力を入れていた自炊も2年目3年目とおろそかになっていました。健康面でも金銭面でもこれではいかん!ということで、重い腰を上げて再開しました。劇的とまではいきませんが、毎回毎回の食費もやや抑えられていると感じます。問題はこれをどこまで継続できるかです。大学時代含めて自炊に取り組んだ期間はあれど、お恥ずかしい話、年単位で続いたことがなく……現状はその「年単位の自炊」が当面の目標となっています。そしてこれまで自炊の継続を阻んできたのが「バリエーション」問題。一人暮らしの自炊は食べきれる量が限られる上、冷凍保存などすると食感が変わってしまう素材もある……さらに、バリエーションを増やそうとすると必要な調味料も増える、結果的に一度の自炊にかかるお金が高くなり、一部の調味料はその後日の目を見なくなる……超えるべき課題は山ほどありますが、少しでもかしこく取り組んで自分自身の2024年を「自炊年」にできればと思います。写真は先日行ったロケの出先で食べたハンバーグです。大きくて厚くて柔らかくてジューシー、お肉のうま味とデミグラスソースのコクで「ご飯何杯でもいける!」ハンバーグでした。自炊ではなぜかこうはいかない……研究のしがいがありそうです。次は飯田アナウンサーです。
2023年を振り返って 堤 勇高 2023/12/18 今日から新しいお題「2023年を振り返って」です。あっという間に年の瀬です。ようやく何も迷わずに日付に「2023」と書けるようになったのですが……(これは去年の年末にも言っていた気がします)ちなみに元号についてはいまだに令和4年と書いてしまいます。これは今年に入ってから出現した新たな症状です。マズいです。さて、兎年だけに「脱兎のごとく」過ぎ去っていったこの1年ですが、その中でも9月から夕方のニュースでスタジオキャスターを務めるという大きな変化がありました。初めの頃は日々の放送を無事に終えられるか?という点がなかなか頭から離れませんでしたが、回を重ねるうちに「もっとこうやってみよう」「こうしたほうが伝わるのでは?」というチャレンジの意識が少しずつ芽生えてきました。迎える2024年。さらに多くの回を重ねる中で、芽生えつつある意識をさらに成長させていければと思っています。もちろんニュースを「伝える」という基本は忘れずに日々のニュースと向き合っていきたいです。最後まで気を抜かず、画竜点睛を欠くことのないように……辰年だけに。写真は先日親戚の結婚式に出席した際、会場の窓から撮った1枚です。夕暮れの雰囲気、魚眼レンズで撮ったようにも見える構図など相まって、個人的2023年の風景写真部門でベストショットだと思います。次は西ノ入アナウンサーです。
冬に思うこと 堤 勇高 2023/12/04 「唇が乾燥して痛い」これが、私が毎冬思っていることです。空気の乾燥する冬。もともと乾燥肌体質ではないので、肌自体の赤切れやひび割れはそれほどケアしなくても良いのですが、唯一唇だけは毎年荒れてしまいます。もちろん全く対策をしないわけではありません。リップクリームはシーズンが来ると必ず買っています。しかしここで新たな問題が。それが「リップクリーム、2週間以内に必ず失くす問題」です。それほど大きなものでもないので、スーツやカバンとあらゆるポケットに入る持ち運びやすさが裏目に出て、どこかしらのポケットに入れたまま忘れてしまいそのまま行方不明になるのが毎シーズン数回あります。もちろんスーツのポケットに入っているときは、次にスーツを着たときに発見されますが、発見された後も数日で再びどこかへ旅立ちます。自分の管理能力のなさを呪うばかりですが、それが数回続くと、とうとうあきらめてリップクリームなし生活がスタートします。結果私の唇にとっては酷な冬となるわけです。最大の影響は仕事などでしゃべるとき。普段の生活より大きく口を動かす場面もあるため、そのタイミングで唇にひび割れができるとかなりの痛みが走ります。仕事に支障が出るのは当然良いことではありません。この冬こそはリップクリームをしっかり管理して、ひび割れのない唇を目指します。写真は定禅寺通りのケヤキ。11月に行われた定禅寺通りのケヤキの「樹勢調査」を取材した際のものです。ケヤキの根がどのように生えているかなどを調査するため、一部を掘って根を露出させていました。写真はその掘られた穴の中から撮ったもので、左手前がケヤキの根、右奥がケヤキの幹です。