アナ・ログ

2012年 春

2012/04/17

今年はいつもと違い、春とは突然来るものだなと感じました。
仙台では桜の見頃はまだ先かと思いますが、満開となった東京・目黒川の桜を一足先に観に行きました。この後、千鳥ヶ淵にも行きましたが、桜を見ながらお酒を飲む花見客でいっぱいでした。
満開の桜もいいですが、風に吹かれて散る桜も美しいですね。

こんな言葉があります。
「花は桜木 人は武士」
和尚さんの一休さんが残した言葉ですが、“桜も武士も散り際が美しい”という意味だそうです。
戦国武将ファンとしては主君・武田勝頼を逃がすために殿軍(しんがり)として奮戦し、討ち死にした馬場信春の名前をすぐに思い出します。

一方、今年のプロ野球には40代の現役選手が17人。
これは過去最多だということで話題になっています。
海を渡ってメジャーリーグでは49歳のモイヤー投手が開幕2戦目に登板したというニュースを聞きました。
そして馬場馬術では71歳にしてロンドン五輪代表となった法華津寛選手。
1964年・東京五輪の障害飛越以来の出場は本当に見事の一言です!
「花は桜木 人は武士」とは逆で、花を咲かせ続ける美学を感じます。

「今何ができるのか」を考え、次のステージで全力を尽くそうとする人もいれば、まだできる今を続けたいと考える人もいます。
いずれにしても、全力で戦う姿を美しく感じることは間違いありません。

次は柳沢さんです。

新たなスタート!

2012/04/06

春は別れの季節であると共に、スタートの季節。
卒業式や入学式で環境が大きく変わる方が多いことと思います。
そして、プロ野球も開幕しました。

フジテレビでは4月から午後の情報番組が始まるなど、大きくリニューアルしました。
全くの新番組でなくとも、時間帯の変更であったりセットやBGMが変わったりと、どの番組も少しずつ変化していきます。
より良いものにしようという気持ちが、常に変化を求める姿勢へと繋がるのだと思います。

アスリートも同じです。
どんなに好成績を収めようとも、皆、常に己にテーマを課し変化を求めます。
例えばイチロー選手。最近の活躍だと男子フィギュアのパトリック・チャン選手。
その他、全ての選手が日々、試行錯誤しながら課題を乗り越えていきます。
そういう意味では、人は毎日がリスタート。

私も日々成長できるよう心がけながら、社会人5年目を頑張っていきます。

次は稲垣君です。

ともに(3)

2012/03/23

震災以降、東北の力になろうと、日本全国、さらには世界中から多くの人が支援の手を差し伸べて下さりました。

そして、先日は利府町で開かれた“みちのく合衆国”には、東京・フジテレビの番組“めざましテレビ”や“ピカルの定理”“THE MANZAI”のメンバー、そして多くのアーティスト達が駆けつけて下さいました。

“めざましライブ”の会場となった積水ハイムスーパーアリーナは人で一杯。“THE MANZAI”では2階席まで埋まったお客さんの笑い声に包まれました。
会場の隣では全国のB級ご当地グルメ“B-1ブランプリ”とコラボしたブースが並び、沢山の行列ができていました。
さらにお笑い芸人のトミドコロさんの春のハグ祭りに、高橋真麻アナの春の歌祭り。
これだけ沢山の笑顔と出会えたのは久しぶりでした。

いま日本中が東北の力になりたいという思いでいます。
私のように震災の影響がなかった人にとって、被災された方の思いを理解することは難しいと分かりつつも、できることはないだろうか。
その一つが、少しでも笑顔になって頂けないかという気持ちだと思います。
本当に苦労している方々がこの日どれだけ足を運べたかは分かりません。
迷惑と思われるかも知れません。
一人でも多くの笑顔が戻ることを世界中が祈っています。

次は梅島さんです。

ともに(2)

2012/03/13

先日、報道フロアで作業をしていた所、あるモニタに地震速報・震度7の文字が。
全く揺れを感じなかったため不思議に思ったところ、発災当時のONエアVTRでした。

当時、私は東京出張中でした。
フジテレビのフロアでテレビを観ていましたが、ほとんどが関東の映像。
その瞬間がどのような様子で仙台放送がどんな放送をしていたのか、当時は知ることができませんでした。

その後銀座の東京支社に移り、夜には都心と逆方向に向かって45分かけて徒歩で実家へ帰宅。
「帰宅困難者ばかりで東京は大変だ」と思ったのが、震災の第一印象。さらに“東京タワーの先が折れた”というニュースに、日本の心まで折られたと感じた初日の夜でした。
翌朝、東京を出発。その道中、自衛隊や消防などの救急車両の数に驚き、ちょうど福島・二本松を通りかかった時に原発が爆発。16時間くらいかけて仙台に到着した頃にはすでにヘトヘト。
これだけでも大変な思いをしたつもりでいましたが、被災地に到着し実際に被害に遭われた方々とお会いすると、その思いは改めなければならないと大いに反省しました。
その後、気仙沼や南三陸町から中継を繰り返すことになります。
現場で動き回ることで、現地の雰囲気や現況は肌感覚で感じられます。
一方、その他の情報には疎くなり、事態の全容までは把握しづらいという一面もあります。
そのことに加え、上にも記した通り私自身は被災していないという思い。
そんな私が、全国に向けて宮城県全体の被害を伝えるという役割を全うできていたのか…
もちろんそうでなければならないのですが、当時も今でもそして今後も、そこで胸を張れることはありません。

もうすぐ1年。
どんなに思いを馳せても、被災された方々の気持ちを真に理解できる日は訪れないと思います。
それでも今後、自分が果たすべきこととは。。
心を痛めた方々に対し、自分なりの表現で明るさと楽しさを感じて頂くこと。そして、前を向いて、ともに歩むこと。
それが“皆が笑顔になれる魔法の箱”、テレビの使命なのではないか。

そんなことを考えた1年でした。意外と大学生の頃に抱いていた、原点に戻っていたりします。さぁ、私もリスタート。良いことが続くよう、頑張ります。
次は稲垣君です。

ともに(1)

2012/02/29

私は去年の11月から沿岸部の幼稚園や保育施設を回って、食育イベントを行っています。
これまでに6箇所を回った中には、実際に1回フロアが津波に浸かってしまって、震災直後は園児達が2階で一晩を過ごさざるを得なかった施設もありました。

そんな怖い思いをした子供たちと少しでも楽しい時間を過ごせたらと思っての活動では紙芝居を読んだり、マルモリダンスなどを、フジテレビの女性アナウンサー達と一緒に踊ります。

どの施設でも、子供たちは元気一杯。毎回もみくちゃにされながら元気をもらっています。
これからもそんな子供たちの笑顔と触れ合えたらと思います。

寒い日が続きますが3日は節分4日は立春…もうすぐ春ですね!

2012/02/08

仙台は寒い日が続いていますが、沖縄はすでに春でした。楽天久米島キャンプがスタートし、今年も選手達の声や打球の音が球場に響き渡っています。

この時期の久米島の気温は20度前後。とても過ごしやすい陽気ですが、それは風が止んだ時だけ。風速7,8mの風が吹き続き、体感温度は急激に下がります(仙台の寒さに比べればマシですが)。
屋内にいると体がポカポカ。屋外では肌寒い。体温の調節が難しいため、なんだか体が火照った感じが続きました。冬眠から覚めた蛙も、きっとこんな感じなんでしょう。

石巻工業の選抜甲子園出場も決まりましたし、野球の春です!球春の到来を待ちわびて、寒さを耐え忍びましょう!!

寒い仙台に戻るのが怖い広瀬がお伝えしました。
次は浅見さんにバトンパスです。

あの日あの時一番役立った物は?

2012/01/27

震災後、私は1週間ほど車の中に泊り込んで取材をしていました。
車内の後部座席で眠るのは大変なようで、実はそうでもなく、苦痛に思うことは1度もありませんでした。
その後、内陸部で宿がとれるようになってからは、夜はホテルや民宿に泊まるようになりました。

キレイなビジネスホテルに泊まれるようになって嬉しかったですが、なんと枕が合わず首を痛めました。車中泊に耐え抜いた私の右肩は、ホテルに移ったとたん上がらなくなりました。ニュースの中継の最中も首が回りません。

そんなわけで、一時帰宅した時には自前の枕を持っていきました。
私の枕は、神奈川県・相模原にある枕研究所で作った特性枕です。その人の体格に合わせて最も睡眠に適した枕をオーダーメイドで作ってくれる研究所で、予約してから半年以上かかって、やっと作ることができた枕です。

荷物になるのを覚悟で持って行った枕でしたが、効果は絶大。震災から1ヶ月となる4月11日に行った4回の中継を何とか乗り切ることができました。
枕を持ち込んで取材をしていたアナウンサーは、日本中で私一人だったのではないでしょうか。

続いては浅見さんです。

2012年 辰

2012/01/10

今年も私の一年は春高バレーで始まりました。
担当させて頂くのは男子・東北高校。
今年は大会唯一の2m選手、大型ルーキーの小野寺君を中心にスタメン平均身長は全国屈指の高さを誇ります。
その小野寺君は本格的にバレーを始めたのが高校から。
それでもその高さを活かして衝撃的な春高デビューを飾りました。

そして、得点源の鈴木君や松林君も大活躍。
キャプテンの佐藤凛太郎君がケガでスタメンを外れる中、その思いも背負ってチームが一体となって戦い抜きました。

今年のメンバーは1・2年生が中心。
来年以降も東北高校男子バレー部に注目です。

次は飯田さんです。

2011年今年を振り返って

2011/12/26

今年は震災報道に携わり、多くの現場を目の当たりにしました。
振り返って感じることは、あの場所で出会った方々は今どこにいるのかな?という思いです。
特に、長くいた気仙沼の避難所の人達が頭に浮かびます。
とりわけよく話を聞きに行った3歳くらいの男の子は今何をしているのかなと度々思います。
その男の子には、1週間くらい停電が続いて気仙沼が久々に通電した際にインタビューをしたのが出会いでした。
「今、どんな気分?」という私の問いに「いま?いいきぶん」と答えてくれました。
もう一度「今、どんな気持ち?」と聞くと「いま?いいきもち」という返事をくれました。
それから時間が空いた時にはその子の所に遊びに行きました。
その子の笑顔から元気をもらったのは私だけはなかったはずです。

9月に同じ避難所を訪れた際には、もうそのお子さんはいませんでした。
その子を含め、多く出会った子供たちは今どこで何をしているのか。その想いが頭をよぎらない日はありません。

そんな中、10月、11月にフジテレビのイベントで沿岸部の保育園や幼稚園を訪れる機会がありました。
写真は竹内アナウンサーと行った時のものです。
紙芝居の朗読やマルモリダンスを一緒に踊ったりしますが、子供たちは本当に元気で、その笑顔からは改めて勇気をもらいます。
辛い思いをした子供たちの笑顔を見ると、ホッとする思いでした。
これからも一人でも多くの子供たちの笑顔に出会えたらと思います。

今年の自分を漢字1字で表すと

2011/12/06

「怠」

入社以来、1年おきに体重が1キロアップしてきた私。
今年はこれまで毎週通っていたスポーツジムをサボリ気味。
筋力が落ちて体が小さくなったため、見た目は縮みましたが、実際は2キロアップ。
体重増ペースが早まってきました。
何とかせねばならぬと思いつつ、外は寒くなったため、ジムへの足は遠のきます。

そして冬が来る前に始めようと思った、料理。
結局1回カレーを作っただけで、それ以降、まるで何もしていません。
食生活は相変わらずいい加減で、ますます体重増に拍車が掛かりそうです。
これまで怠けた分を、12月までに何とか挽回したいと心では思い続けています。

次は、週末は少年野球チームで連投の毎日。私と違って全力投球の柳沢さんです。

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