アナ・ログ

2017年折り返し!

佐藤 拓雄

2017/06/26

昨日、おとといの2日間、「仙台放送まつり」にたくさんのご来場ありがとうございました。
私たち仙台放送の皆さまへの感謝の気持ちが少しでも伝わったならば幸いです。

話は変わりますが、先日出張で福岡を訪れた折、寄り道をして「金印」を見てきました。
歴史の教科書に出てくる、あの「漢委奴国王」の金印です。
福岡市博物館に常時展示されています。
本物を見るのは二度目ですが、何度見てもいいですね。
目の前で今なお妖しげな輝きを放ち、圧倒的な存在感を見せる、2000年前の小さな金印。
平日でお客さんが少ないのをいいことに、展示ケースに顔を近づけて食い入るように見入りました。
謎も多く、そんなところも含め、陳腐な言葉ですが、歴史のロマンです。
熱い思いでついつい金印のゴム印を買ってしまいました。

さて、2017年「折り返し」と言うけれど、時間は折り返しません。一本の数直線のように、そして一方通行で流れていくだけです。
だからなのか、それとも、しくじりだらけの人生を送ってきたからなのか、時を遡ったり、時間を自由に行き来したりする小説や漫画、ドラマ、映画が大好きですし、タイムマシンがあったなら、あるいは、自分の人生をどこかに戻ってやり直せるなら、しょっちゅうそんな妄想をしてしまいます。
それこそ、金印の謎もタイムマシンで解き明かせるのでは、そんなことも考えますね。

人生を戻ってやり直す、ということで言うと、かりゆし58の歌に、「嗚呼、人生が二度あれば」というのがあります。
人生が二度あったら自分はどうするだろう。あの時のあの選択を?それともあの時?
またまた妄想が始まってしまいます。

ただ、妄想しても何をしても、時は戻りません。

そして、かりゆし58の歌を最後まで聞いてみると、実は、「人生をやり直せたらいいのに」という歌ではなく、人生は一度しかないから輝くのだ、という歌です。

まさしく、そういうことですね。
2017年も折り返さず、今を生きる。毎日の積み重ねこそが人生です。

明日は稲垣アナウンサーです。

雨の日のお供

佐藤 拓雄

2017/06/20

我が家に先月やってきた小さな魚くん。
いただいたシロウオのパックに紛れ込んでいて、シロウオは死んでいるのに、たくましく生き残っていました。
体長は3センチくらい。色が違うのでシロウオではないと思われますが、正体は不明です。
小2の次男が、かわいいかわいいと喜んだこともあり、育てていくことになりました。
水槽は簡易なものですが、餌は、妻がペットショップで相談して、熱帯魚用のものを買ってきました。

その様子を確認することが、我が家の日課になっていましたが、先日、とうとう死んでしまいました。
前の日から様子がおかしく、仰向けで動かなくなったかと思うと、急に泳いだりを繰り返し、みんなで心配していましたが、やはり限界が来たようです。
妻と次男と三人で、土に還し、命のはかなさを改めて感じましたが、自然の中にいたらもっと生きていたのか、という考えも頭をよぎり、どこか不憫にも思います。
ただ、短い間でしたが、健気に生きる様子は、私たちの癒しでもありました。


さて、雨の日のお供。

先日、雨の日の通勤途中、歩道を歩いていたら、猛スピードのトラックが、轍の水をバシャーーーーーッとはねあげ、右半身にもろにかぶってしまったことがありました。もちろん傘はさしていましたので頭はぬれませんでしたが、服はかなりのびしょ濡れ。
これから仕事というのに、なんてことをしてくれるんだ!謝れ!とトラックを追いかけたいくらい腹が立ちましたが、その時来ていた服が、たまたま、いわゆる「ドライ」素材のもので、歩いているうちにあっという間に乾いてしまいました。
これは助かりました。
かぶった雨水が乾くのとともに、トラックに対する怒りも収まり、不快感もなく過ごすことが出来ました。
雨の日のお供はこれですね。
しかし、そうは言っても、あの乱暴な運転は、思い出すにつけ、やはり頭にきますね。文字通り「傍若無人」。傍らに人無きがごとし、ですよ。


今回のお題はこれでおしまい。明日からはお題を変えて、寺田アナウンサーからです。

リフレッシュ法

佐藤 拓雄

2017/05/15

5月も半ばを過ぎました。
先月から新生活という方、疲れがたまっていませんか?
ゴールデンウイークにリフレッシュした、という方もいらっしゃるかもしれませんが、「五月病」なんていう言葉もあるこの時期、うまく気分をリフレッシュしたいですね。
ということで、今回のお題は、「リフレッシュ法」です。

さて、春先や秋口の衣類の入れ替えは、毎年恒例のルーティンワークですが、ここ2年ほど、私にとっては大きな変化がありました。
スーツ類を自分で洗濯するようになったのです。
それまでは、スーツ類を、家で洗うという発想すらありませんでしたが、ある洗剤を知って、試してみました。
初めて洗ったときは、スーツを洗濯液につけることの怖さというか、罪悪感といったら大げさか、とにかく、本当に大丈夫だろうか、とおっかなびっくりでしたが、非常にうまくいき、それ以来、「家で洗う派」に。

今では、飲み会の後など、スーツにしつこく臭いが残り、消臭スプレーでも効果が出ないようなときも、時間と天候のタイミングを見て、すかさず丸洗い。すっきりニオわなくなります。

コートももちろん丸洗い。
妻は、ダウンジャケット、ダウンコートの洗濯に成功しました。

タライに浸けおきして、短く脱水して、形を整えて干して、という作業があるので、多少の手間はかかりますが、自分できれいに洗える爽快感と、クリーニング代を得した感じは、クセになります。

・・・と、これは、「衣類の」リフレッシュ法でしたね。

でも、衣類をリフレッシュすると、人間のほうも気分爽快、リフレッシュできるわけでして。
得意のこじつけで、きょうはおしまいです。失礼しました。

写真は先日見たお台場の夜景。目のリフレッシュになりました。

明日は、稲垣アナウンサーです。

マイベスト映画

佐藤 拓雄

2017/06/02

写真はある日の弁当より。いい年して少しテンションが上がりました笑

さて、以前、「私のイチおし・映画編」というお題で書いたのは「バック・トゥ・ザ・フューチャー」。

「イチおし」と「マイベスト」はニュアンスが違うのでしょうが、マイベストを探していくと、結局「バック・トゥ・ザ・フューチャー」になってしまいます。
「タイムトリップ・タイムスリップもの」がとにかく好きです。

そういう意味で、最近のベストは、「信長協奏曲」。
原作は漫画だし、テレビドラマから映画へ、という流れなので、厳密に「映画」とも言えませんが、よくできたストーリーでした。

私は、常々、ドラマや映画の脚本は、どれだけ観る側に「必然性」を感じさせられるかが大事と思っています。
シナリオ用語で「枷(かせ)」と言うようですが、登場人物の障害になり物語を方向付ける状況の設定がしっかりしていると説得力のある話になるし、不自然だと全く共感できなくなってしまいます。

「信長」も、スタート地点は、タイムスリップという荒唐無稽なものですが、「枷」の設定がお見事で、それゆえグイグイ引き込まれていくのです。
しかも、こっちは、戦国時代の歴史的事実を知っていますから、「本能寺の変」に向かう歴史の結末まで、ある程度見えています。その大枠を動かすことなく、歴史的必然とフィクションとしての必然性が、絶妙なバランスを取りながら展開していくのです。
「本能寺の変」の真相は、本当にこうだったのでは、と思ってしまうほど。歴史の謎を解くスリルも味わい、爽やかかつ涙がひと筋流れる結末でした。

ところで、一昨年「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で描かれた未来、2015年10月21日が現実に到来、ということで、にわかに話題になり、映画で描かれた未来の世界の中で、実際に現実になったものがあるとかないとか、そんな話が出ました。私が、技術の進化を一番感じるのは、映画自体を見る手段。
VHSのビデオが、DVDになり、今では、インターネットで見放題。これぞ未来世界ではありませんか。
映画館だって、当時はなかったシネコンが主流になり、仙台でも、街中の映画館がほとんど姿を消しました。パート3を観たのは、仙台駅前にあった東宝だったなあ。

次は、新人・高橋アナウンサーです。

春のお出かけ

佐藤 拓雄

2017/05/10

春のお出かけは、できればしたくない、できることなら一日中家に閉じこもっていたい、というのが本音。
言うまでもなく、花粉症のせいで、やむを得ず外出する場合は、マスク2枚重ねに花粉用メガネと、「完全防備」スタイルで、それ自体が煩わしく、気が滅入ってくる、そんな季節でした。

「でした」と書いたのは、この2シーズンほど、そんな状態から解放されつつあるからです。
特に今年は、これまで、妻に「花粉の時期は絶対禁止」の御触れを出していた、洗濯物の外干しも「解禁」。
そのくらい、花粉症の状態が改善されたのです。

理由は、おととしの花粉シーズン前から始めた「舌下免疫療法」。
ちょうど保険がきくようになった時期に、たまたま行った病院で教えてもらったのがきっかけでした。
お医者さんは、「効果は個人差があるし、少しでも楽になったなら効果があった、と考えてください」と慎重なニュアンスの言い方をされていましたが、うまくいかなかったとしても何も失うものはないと思えたので始めてみたところ、私には効果があったようです。
花粉症を発症してから30年近く、これほど症状もなく、花粉を感じない春もなかった、というくらい、今年は楽でした。
念のため、外出時にマスクはしますが、暑苦しければ、外してしまってもいいくらい。

そんなわけで、春はあちこちお出かけを、となりそうですが、もともとインドア派なので、そのへんはあまり変わらずです。
でも、体調が崩れない、ということは、本当に良いことで、久しぶりに、憂鬱でない春を過ごしています。

写真は、先月オープンした南三陸町歌津の商店街「ハマーレ歌津」。
震災7年目にして仮設が終わり常設の店舗ができました。
14日には「しろうお祭り」もあるそうです。
お出かけになってみてはいかがでしょうか。

明日は、先月から「ともに」をいっしょにやっている梅島アナウンサーです。

トーテム

佐藤 拓雄

2017/04/20

シルク・ドゥ・ソレイユ仙台公演の毎回のお楽しみの一つに、仙台限定のフードがあります。
今回は、ずんだまん。(写真右上)おいしいです。
いかにも仙台的なフードをほおばり、非日常的、非現実的、幻想的な夢の空間を堪能する。
このギャップもいいんです。

さてさて、今回の「トーテム」。
観ている間、私の頭をずっと駆け巡っていたのは、
「重力どこ行った?」
という言葉でした。

私はこれまで、シルク・ドゥ・ソレイユの公演は、
仙台に来た、ファシナシオン、ドラリオン、コルテオ、オーヴォ、今回のトーテム、そして、本場アメリカで、オーを観ましたが、その中でも、この「無重力感」はトーテムが一番のような気がします。

それは、パフォーマンスがさらに研ぎ澄まされたということかもしれませんし、
その超人的なパフォーマンスをあまりにも軽々といとも簡単にやっている(ように見える)からということかもしれません。
そして、すべて「必死にやっている」というふうに見えないからこそ、スポーツではなくて、芸術なのかもしれませんね。

そういう凄さの連続の中で、とうとう私は、「これなら自分にもできそう」という、とんでもない錯覚を持つに至り、ビッグトップをあとにしました。
もちろん、よい子は真似をしません。
しかし、この感覚、何度でも味わいたい。

明日は、寺田アナウンサーです。

新年度 2017

佐藤 拓雄

2017/04/03

新年度です!
自分は何も変わっていないのですが、どこか新たな気持ちになりますね!

私たち仙台放送も、この4月、新入社員たちを迎えました。
アナウンス部には男女1人ずつの2人。

高橋咲良(たかはし・さくら)アナウンサー(女性)と、
下山由城(しもやま・ゆうき)アナウンサー(男性)です。

高橋アナは、3月に大学を卒業したばかりの、新社会人。「アナウンサー」と呼ばれるのも、もちろん今月からという、ピカピカの一年生です。
下山アナは、すでにアナウンサーとしての経験を積んで、別のテレビ局から移ってきた即戦力です。

下山アナは、3月いっぱいギリギリまで前の会社での仕事をしていましたが、高橋アナは、入社を前に先月から、仙台放送で研修を行っています。
私、金澤アナ、寺田アナ、梅島アナの4人が講師となり、心構えから始まり、発声、発音、滑舌、そしてニュースや天気予報と、基礎・基本をみっちり研修しています。
写真は、研修の必須アイテム。フジテレビ系列で使っているオリジナルのテキスト、用語ハンドブック、電子辞書、アクセント辞典、ストップウォッチなどなど。
20数年前、私も、入社前の3月から研修を受けました。
講師役として教えていると、当時を思い出し、その時の講師の大先輩はこういう気持ちだったのだろうなと、今頃になって分かるようなことがいくつもあります。講師役の私たちも、日々勉強、日々成長ですね。

あす、あさってと、その仙台放送の新しいアナウンサーが、初めての「アナ・ログ」をアップします。
まずは、高橋咲良アナウンサーです。

通信簿の思い出

佐藤 拓雄

2017/03/28

子どもたちは小学校の最初からずっと2学期制。
3学期制で育った私にとっては、夏休みが始まる前日に通信簿がない、10月初めごろに通信簿、冬休みが始まるのに通信簿なし、という違和感はいまだになくなりません。

・・・まあ、そんなことはどうでもいいですね。

さて、もはや自分の通信簿のこととなると、小学校低学年の頃、決まって「落ち着きがなく、いつもちょろちょろしている」的なことを書かれていたことくらいしか思い出しません。確かにそういう子どもでした。

時は流れ、親の立場で通信簿を受け取るようになり、気になるのは、「5・4・3・2・1」の評定よりも、先生からの一言欄。我が子が、学校でどんな様子なのか、先生の目にどう映っているのか、数行の文章に凝縮されています。
先生はよく見ているなあと感心させられたり、そんな面もあったのかとよい意味で驚かされたり。
その先生の一言が、子どものスイッチを入れる魔法の言葉になったこともあります。

だから、というわけではありませんが、先生に返す時の「家庭から」の数行は、結構一生懸命考えて書いています。
通知表を学校に返すのは前期だけですので、年に1回ですが、先生への返信、というだけでなく、夫婦で、子どもそれぞれの1学期を振り返る絶好の機会にもなっています。

でも、そういうのも、中学卒業までの9年間だけですね。
高校に入ると、無機質な(と言っては失礼か?)数字だけの「成績通知表」。親の出る幕はありません。
この春、長男は高校を卒業しましたので、それすら、「卒業」。
こうやって、親と子は少しずつ離れていくのでしょうか。

離れる、と言えば、今月いっぱいで、2人のアナウンサーが、仙台放送を離れることになりました。
木下瑠音アナウンサーと、高谷恵倫アナウンサー。
2013年入社の同期コンビでした。
まずは、明日、木下アナウンサーからご挨拶と、「通信簿の思い出」です。

2017年 ともに

佐藤 拓雄

2017/03/08

震災翌月に放送を始めた「ともに」という番組を当初から担当しています。

写真は、先日、その「ともに」で訪れた、山元町のいちご園の「いちごカレー」。ここにカレーをかけると、さらにインパクトのある見た目ですが、これがかなり美味しいんです!よかったらお試しください。

さて、先日、デスクの整理をしていたら、「ともに」の番組開始にあたって当時のプロデューサーが作った、番組の最初の構成案が出てきました。手書きで、「書きなぐった」と言ってもよいような粗削りの書類。震災発生直後、私たちも大混乱の中、すべてが混とんとしていました。ただ、その構成案からほとばしるのは、とにかくこの未曾有の大災害からなんとか立ち直っていきたい、私たちの住む宮城を復興させたい、皆で「ともに」支えあいながら歩んでいこう、という強い思いです。
今月で丸6年、私たち番組にかかわる人間は、その思いを忘れたことはありませんが、6年でずいぶん状況は変わってきました。

去年、県が発表した県民意識調査では、7割以上の人が、「震災の記憶の風化が進んでいる」と回答しました。「風化が進んでいると感じる時」のトップは、「新聞やテレビなどでの取り上げ方」。
テレビの人間として、実感と反省の念をもって受け止めました。
6年経った今、発生当初から定期的な放送として続いている震災番組は、非常に少なくなりました。私たちマスメディアは、「記憶の風化」を懸念し、声高に訴えながら、一方では、人々が風化を感じる材料を提供しているとも言えるわけです。皮肉で実に歯がゆいですが、これが現実でもあります。

しかし、だからこそ、私たちが、「ともに」を放送し続けていることに、少なからぬ自負もあります。番組を続けていること自体にも、大きな意義があり、メッセージになるのだ、と信じて、毎月、放送にあたっています。
震災発生当初から、私は、「最後の一人が復興したといえるまで私たちは伝え続けます」と言い続けてきました。私たちの宮城県は、当時の「混とん」からはだいぶ抜け出した感はありますが、しかし、「最後の一人の復興」はまだまだ先になりそうです。その日が来るまで、いや、そのあとは、震災を知らない人たちに、私たちは伝え続けなければいけないのだと思っています。

明日は、梅島アナウンサーです。

恩師

佐藤 拓雄

2017/03/01

出張で泊まったホテルの部屋から富士山が見えました(写真)得した気分。

さて、「恩師」というと、何か人生の大恩人のような響きがありますが、辞書を引くと「教えを受けた先生。師に対する敬称」とだけあるので、大恩人でもなく、感謝もしていない先生のことを書きます。

小2のときの担任。
クラスも担任もかわった4月に、やってきたのは産休補助の若い先生でした。
正式な担任は、産休育休で、スタートから顔も見たことがない状態。
今思うと、なんでそんな人を担任にするのか、と学校に腹も立ってきます。
ただ、産休補助で来てくれていた先生は、とてもいい先生でした。

問題は、学年途中から現れたその正式な担任です。
これが、とんでもない、今で言う「体罰教師」だったのです。

忘れ物をした子を立たせるなどは日常茶飯事。
今でも覚えているのは、黒板の前に並ばされ、両手を挙げて立っていなさい、という罰。
何をした罰かは覚えていないのに、受けた罰は鮮明に覚えているのですから、教育的効果もゼロですね。
この体罰、5分もその姿勢でいたら、二の腕あたりに血がたまって、腕がジンジンと重くなり、大変な苦痛です。
そんなことを小2の子たちにさせていたのです。

もっとひどかったのは、給食で使うランチョンマットを忘れてきた子に、給食を一口も食べさせなかったこと。
給食の時間中泣いていたのが忘れられません。

何度も言いますが、小学2年です。
本当にショックでした。

さすがに何人もの親たちが懇談会か何かで言ったようですが、体罰が止むことはなかったと記憶しています。
それでも、問題が社会化しなかったのは、時代、ということなのでしょうか?

そして、先に書いたように、その先生は産休育休明け、つまり、赤ちゃんのいる女性です。
そんな人が、なぜ小学2年生にこんなひどいことをできたのか?
今この先生はどこでどうしているのか、私は全く知りません。

その後、もう一人、中学のときに「ケツバット(プラスチック)」をする体罰教師に出会いました。
でも、この「ケツバット」、自分も何度もやられましたが、ちっとも心に傷を受けていないどころか、この先生のことは好きなほうに入ります。

明日からは新テーマで稲垣アナウンサーから。

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