アナ・ログ

あなたのドラ1は?

金澤 聡

2011/11/24

私のドラ1は、塩見貴洋投手です。
そうです、文字通り、今年の楽天のドラ1ルーキー塩見貴洋投手です。

忘れもしない、7月16日のオリックス戦、見事プロ初完投勝利を挙げ大物ルーキーの片鱗を見せてくれたからです。
なぜ忘れもしないのか、そうです、私がその日の楽天中継の実況をしたからです(笑)
だからというわけではないのですが、その日は楽天にとってペナントのハーフターンにあたる72試合目。節目の登板で、塩見投手は、10奪三振、無四球でプロ初完投勝利を挙げました。楽天の新人2ケタ奪三振は田中将大投手に次いで2人目という快投ぶりでした。
しかも、この日の登板は、岩隈投手と永井投手が戦線離脱するなか中4日での登板で、自身Kスタ初勝利となった試合でした。
本人もこの試合が今シーズンのベストゲームだったそうです。

今シーズンは、2ケタ勝利にあと白星一つ足りませんでしたが、来シーズンは2年目のジンクスなど感じさせない快刀乱麻を見せてくれるでしょう。

『塩見君、日焼けしないね』 『金澤さん分けて下さいよ』
球場で会うとこんな挨拶を交わしてくれるある意味強心臓(?)を持つ塩見投手ですから、来年の活躍が楽しみです。

次は、佐藤拓雄アナウンサーです。

冬が来る前に

金澤 聡

2011/11/11

今年は、冬が来る前に災害の備えをきちんとしようと思っています。

私も正直、あれ程大規模な震災が起こるとは思っていませんでした。
震災前、近いうちに起こるであろうと言われた宮城県沖地震でもある程度の備蓄があれば大丈夫だろう、
何とかなるだろうと思って、備えらしい備えはしていませんでした。
これを災害心理学で「正常化の偏見」というそうですが、
まさに、自分だけは、自分の家族だけは大丈夫という偏見があったのは確かです。

実際にあの震災で体験したのは、明日家族を養えるのかどうかという不安と
水、電気、ガソリンの供給源が断たれ、復旧のメドが立たないという先行きの見えない不安でした。
食料確保に東奔西走しました。
もし冬に大きな災禍に遭ったら、即、生命にかかわることになりかねません。

「備えあれば」ですし、「自分だけは大丈夫」ということはないと思って、もう一度備えを見直して、しっかり準備して冬を迎えようと思います。

想定外のことを想定する。
まさに今回の震災で学んだことです。


次回から新しいテーマです。

いも煮

金澤 聡

2011/10/20

毎年会社の仲間内でやろうとしていて、なかなかできないいも煮会。口約束が実現するのはいつの日になることか…。
秋はプロ野球やサッカーがシーズンの集大成だったり、インドアスポーツは開幕を迎えたりとなにかとイベントが多い季節。
なかなか、一同に会するとはいかない。
とはいえ、こまねいていても始まらないので、一応下見は行ってみる。会社で報告だけはしてみる。

『秋保でいいとこ見つけたよ!道具一切いらないから!』
『じゃあ…、今年こそそこでやりましょうよ…』

たぶん、今年もないでしょう。(笑)


今年は親戚一同でいも煮を計画中。
色んなことがあった年ですから、宮城の食材を使って、心と体の労を癒す会を開きたいと思ってます。
これが実現しなければ、親戚の方から「おおかみ少年」的な扱いを受けるでしょうから、なんとか頑張ります!

次は、稲垣アナウンサーです。

2011年 秋

金澤 聡

2011/10/11

スポーツ界にとってはシーズン佳境の秋を迎えています。
『東北の復興の光になる』と誓ったベガルタ仙台。
手倉森監督は、垂れる稲穂をチームカラーのベガルタゴールドに例え、実りの秋にすると話しました。
震災後リーグが再開すると、強い光彩を放ち快進撃を見せました。
途中失速し光が薄れかけましたが、意地、執念で連勝。もの凄い粘り腰で「東北魂」を見せてくれています。
時間があれば被災地を訪れて、物資を届けるのはもちろん、サッカーを通じて子供たちを勇気付けていたあの時期を考えると、今年の成績は「気持ち」や「絆」が後押しして生まれているような気がしてなりません。

全員が走り、全員で攻撃して全員で守る。今季は堅い守備力を誇り、チームが迷ったら原点(守備)に帰る。
拠り所があるサッカー、ブレないサッカーで結果を残しています。
おそらくですが、技術や戦略以外に、精神的なところにも拠り所を置いて臨んでいるんだと思います。
『東北の希望の光になる』
監督、選手のコメントから必ずでる言葉。

信は万物の基をなす。
楽天野村名誉監督の言葉が、いま沁みています。

次は寺田アナウンサーです。

震災から半年

金澤 聡

2011/09/15

震災から6ヶ月が経ちました。
我が家には変化がありました。新しい家族が増えました。
あの地震をお腹の中で耐えました。
強い子になってくれることを願っています。

半年経って、自分の住んでいる周辺の景観はほぼ日常に戻りました。
ただいまだに多くの方が大変な日々を送っています。
震災後のストレスなどで、命に関わるような深刻な事態も起きています。
細分化された問題に取り組んでいかなければならないのが今後だと思います。

震災の復興なくして経済の再建なし。
原発の目に見えない不安を解消なくして、日本の信頼回復なし。

まだまだ長い道のりですが、被災地への思いが徐々に薄れていくこれからが本当の復興の道になると思います。
被災地の感心が希薄にならないよう我々もしっかりと発信しなくてはいけないと思っています。

日々の一歩が明日につながると信じて。

次は、広瀬アナウンサーです。

2011年、夏

金澤 聡

2011/09/07

今年は、公園に行っても砂場で遊んでいる子が少ない夏でした。
特に雨が降った翌日は、ほとんど誰もいませんでした。
自身も悩んだ夏でした。
息子を砂場遊びさせるかどうか。長時間、外で遊ばせていいのか。水は安全なのか。
子を持つ親なら誰でもそう思った夏ではないでしょうか。
これから未来ある人たちに、不安な宿題は残してはいけないなと切に思っています。

先日、息子と一緒に逃がしたバッタと公園で再会しました。
(『ばったり』出会ったと書こうと思いましたが、バッタだけに…笑)
息子が芝生にまぎれていたバッタを発見。それはそれは大興奮でした。
私はなかなか見つけられず、やっとカメラに収めることができました。
何気ない子供との一コマですが
来年の夏は、外での思い出をたくさん作ってあげようと思っています。
そのために自分にできること、しなければいけないことをまた改めて考えようと思います。

ちなみに、どこにバッタがいるかわかります?

次は、林アナウンサーです。

ともにII

金澤 聡

2011/08/23

取材で南三陸町に向ったのは、地震発生から2週間後だった。
峠を越え平地に出るとすぐ、がれきが点在していた。
海岸から4kmほど内陸のところまで津波が到達していた。
海に向っていくと、更地になっていた。建物がない。あるのは、むき出しの鉄骨だけだった。
気仙沼では、がれきが街にうず高く積もっていたが、南三陸町はがれきがほんとんどなかった。
強烈な引き波が、建物を沖へとさらっていったのだろう。
震災前に、何度か南三陸町を訪れたことがあった。その脳裏の映像とは、全く違っていた。どこにお店があったのか、どこに駅があったのか、どこに家があったのか全くわからなくなっていた。
取材で話を聞くたびに、胸がつまる思いだった。九死に一生を得た方がたくさんいらした。そして、犠牲になられた方も…。

高台にある志津川高校には、桜並木があった。
桜はつぼみを固くして春を待っていた。
街は一変してしまったが、花を咲かそうとしている桜をみて復興への思いを強くした。
またこの並木の下で笑顔が戻ることを願って南三陸町を後にした。

まだ復興への道は、一里塚を過ぎたあたり。
ともに長い道を歩んでいきましょう。

次は、佐藤拓雄さんです。

ともに

金澤 聡

2011/08/15

地震発生から6日後、取材のため気仙沼へ。
道中は車のヘッドライトさえも暗闇に消されそうなほどどこまでも暗く静寂に包まれていて、どこを走っているのか方向感覚を失った。
夜8時過ぎに到着。気仙沼の市街地を見渡せる高台に立ったが、ここでも方向感覚を失った。明かりがないので、街なのか、海なのか、全く分からない。ガソリンや重油の油の臭いが鼻を突く。2次火災の恐れがあったので、警戒にあたる1台の消防の赤いパトランプだけが、暗闇に明滅していた。
車中泊した翌日早朝、日の出とともにもう一度高台に向った。眼下の光景は現実かどうかの感覚を失うほどだった。
街全体が押し流されていた。がれきが3メートル以上の高さでうずたかく積もっていて、道路をふさいでいた。
線路が寸断されていた。家が川の中に横倒しになっていた。車が家の2階部分に突き刺さっていた。
大きなガスタンクが道路に転がっていた。
高台を降りて街に向った。流された車のボンネットの上に登り、がれきの上を慎重に歩きながら何とか道路らしきところに出た。津波の被害を免れた地元の建設業者が重機でがれきの撤去作業をしていた。がれきの中に行方不明者がいるかもしれないので慎重に作業を行っていると言う。そして、テレビできちんと気仙沼の現状を伝えてほしいと作業している方が話しかけてくださった。この時点では気仙沼は停電していたため、テレビが見られないという。
ライフラインが寸断され、通信も遮断。逼迫した状態が続いている中で、甚大な被害にあった地域のために自分は何ができるのか。何をしなくてはいけないのか。マスコミが、テレビが、被災地とともにできることはなにか。何を被災地から伝えるべきか。テレビの存在意義を考えさせられた。一日も早い復興を願って。


今回の震災で被害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げます。いまだ多くの方が避難所で生活されています。
我々アナウンサーも皆様、そして、宮城、東北の復興の一助になることは何かを日々考えております。
次回のアナログも「ともに・2」と題して掲載させていただきます。

寒かった思い出

金澤 聡

2011/03/02

いよいよ球春到来!
野球にサッカーにと宮城のスポーツも開幕の春を迎えます。今シーズンはどんな戦いを見せてくれるのか、胸躍る春でもあります。
その鼓動を高鳴らせながら、先月、楽天の久米島キャンプに行ってきました。
私は、第1、第2クールを取材してきましたが、今年は、雰囲気がいいです。選手が口々に『優勝する』と話します。闘将星野監督のもと、東北を熱くする期待が否が応でも高まります。
しかし、広瀬アナも書いていましたが、この時期の久米島は寒いときは本当に寒い。日差しが出ないと、厚手のものを羽織っていないと取材も辛い。そのくらい冷えるときがあります。

今回の取材では、蛙のから揚げなるものを、「見て」きました。あまりにその姿が、蛙らしいたたずまいでしたので、「食べる」のではなく「見る」だけにしておきました。あつあつに揚がっていましたが、私は相当冷え込みました。

久米島キャンプは寒い日が多かったのですが、楽天は熱くなりそうです!楽しみです。

バーゲンセール

金澤 聡

2011/02/04

最近、パソコンに向って長時間作業すると、ズキズキと頭が痛くなる。頭痛薬を飲んで作業して、でも、またちょっとするとズキズキ…。
これは何か自分の頭の中で大きな病が潜んでいるのではと不安になり、病院で聞いてみた。
検査をしても何も瑕疵がない。
いよいよ原因不明の不治の病かと悩んでいると、『眼精疲労による頭痛』とのこと。

そういえば、実況のため、着けているコンタクトレンズの度は相当高い。それが頭痛のタネだそうな。

ということで、パソコン用のやや度の低いメガネをセールで買うことにしました。写真がそれです。
似合ってる似合っていないは僕にとって問題ではありません。そうです。痛くなるかならないかの問題です。

でも、似合ってるでしょうか…(笑)

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