アナ・ログ

食欲の秋

金澤 聡

2007/09/20

『食』にあまり執着しないのですが、宮城の秋は格別です。

高校駅伝の取材中に亘理で食べた「はらこめし」。本末転倒ですが「はらこめし」が楽しみで、毎年駅伝シーズンが待ち遠しかったのを覚えています。駅伝中継がなくなり残念ながら取材で食べることはできなくなくなりましたが、これは格別です。

高校バレーボール新人戦の取材中に石巻で食べた海鮮もの。毎年10月末か11月上旬に行われる高校バレーの新人戦の中継。会場の石巻に前日入りして、夜はあわびにまぐろにクジラにと海鮮ものをおいしくいただきました。
残念なことに、今は前日入りがなくなってしまいました。しかし、これも格別でした。

仕事を通じて宮城の美味しい秋の味覚を楽しませてもらいましたが、残念ながら、取材自体がなくなるのです。
私がたずさわるとそういう運命になるのでしょうか?
文字通り「おいしい」取材の復活を祈りつつ、プライベートで宮城のうまいもの巡りでもと思っています。

そういえば、リトルリーグ秋季大会はさんまの美味しい季節の気仙沼開催があったようですが、私が入社したとたん無くなったようです。

次回の板垣アナは取材消滅王?の私のせいで残念ながら、仕事で「はらこめし」「海鮮もの」は食べていません。
ごめんなさい。

祖父母の思い出

金澤 聡

2007/08/30

どこの家のおばあちゃんもそうなのかもしれないけれど、僕のおばあちゃんは心配性で涙もろい。

学校の登下校で事故に遭っていないかいつも心配してくれたし、学校で賞をもらえば、おばあちゃんはいつも喜んで泣いてくれた。いまでもそうだが、実家に帰ると真っ先に出迎えてくれて帰省の無事を確認しホッとした表情を見せてくれる。そして、何かのパーティでも催されるのでは?というくらいお菓子や果物などたくさん食べ物を出してくれる。あとはひたすら最近あった出来事を僕に教えようと話し続けてくれる。

仙台へ出発の日は、おばあちゃんは必ず涙を流して見送ってくれる。僕の姿が見えなくなるまで泣きながら手を振り続けてくれる。仙台に着いて無事の電話をおばあちゃんにかけると、泣きながら元気で頑張りなさいと言ってくれる。

小さいときは何でこんなに心配するのだろう、なんでこんなに涙をながすのだろうと思っていたが、いまとなってはとてもありがたいこと。
ゲートボールや詩吟の大会で全国行脚、趣味のカラオケ、そして家事にと毎日多忙なスーパーおばあちゃん。
おばあちゃんが泣いて喜んでくれるような報告をたくさんできるよう、また頑張ろうと思う。

次は、この夏サイダーをがぶ飲みした寺田アナウンサーです。

宿題あれこれ

金澤 聡

2007/08/17

小学生の頃は、国語が苦手でした。夏休みや冬休みの国語の宿題はいつも後回しでした。
よくアナウンサーを志したなあと我が事ながら感心します。
まさに「少年老いやすく学なりがたし」。
大人になってからも宿題があるとは思ってもみませんでした。
しかも、大人になってからの宿題は本当に難解。いまだに解けないものもたくさんあります。
小さいときから国語をしっかり勉強していればこんなに苦労することもなかったかもしれません。
まさに「後悔先に立たず」です。

もしかしたら、アナウンサーになることで周りに感化されて国語力がアップするのではと深層心理にあったのかもしれません。まさに「朱に交われば赤くなる」ともいいますし…。
ただし、まさに「雀百まで踊り忘れず」「三つ子の魂百まで」ともいいますので何ともいえませんが…。

いずれにしても、まさに「蒔かぬ種は生えぬ」といいますから今後も新たな大人の宿題にチャレンジして行きたいですし、結果がでるまでは、まさに「桃栗三年柿八年」の精神でしっかりと腰を据えて頑張ろうと思います。

さて、大人になって国語力を克服したかのような、まさに「鬼の首を取ったよう」にことわざを連発していますが、
色んなことわざ辞典を見ながら作成しています。
国語の宿題の参考になったでしょうか…。ならないですね、はい。

次は、宿題を忘れたことはなさそうな、国語は得意のような、林アナウンサーです。

夏休みの思い出

金澤 聡

2007/08/03

小学生の頃、自分だけの秘密の木がありました。
両親にも、兄にも親友にも、誰にも教えていない木。
夏休み期間中、ほぼ毎日その木へ行きました。

ラジオ体操が始まる前の午前5時。自転車に乗って河原の方へ15分。
そこから藪をかきわけて歩いていくと、その木はありました。
その木は、ちょうど目線の高さに穴がありました。

穴の中は、樹液に群がっているカブトムシにミヤマクワガタ、ノコギリクワガタなどまさに宝庫。
さらに、その木を思い切り蹴ると上からオオクワガタが落ちてきたり、
木の周りの腐葉土を掘るとカブトムシのさなぎが出てきたりと、
当時の僕にとっては、魔法の木でした。
夢中になりすぎてラジオ体操に遅れていったことも何度かありました。

高校生のとき、堤防工事でその木は伐採されてしまいました。
カブトムシ採集に興味はなくなっていましたが、ものすごく寂しい思いをしたのを覚えています。

いまでも夏になるとあの木のことを思い出します。子供のころの夏休みのいい思い出です。


次は、二児のパパ、佐藤拓雄アナウンサー。お子さんに夏休みのいい思い出を作ってあげるんだろうな。

夏と言えば

金澤 聡

2007/07/25

夏といえば、頭に浮かぶのは「香」と「音」と「光」

 僕の実家は、夏は猛暑の新潟。しかも盆地。如何ともしがたいくらい日中は暑い。
 部活を終え帰宅するやいなや、畳の上にしばらく大の字。
 祖母がとなりに置いてくれた麦茶の香りと畳の香りに包まれて心地よい疲労感。
 
 聞こえてくるのは、扇風機の静かな風の音と蝉のなきごえ。しばし仮眠。
 目を覚ますと、外は夏の夜空に光輝く満点の星。
 まばたきせず見ていると、どんどん星が自分に近づいているかの様な錯覚さえする。
 庭先に1つ2つホタルの光の明滅。夢かと思うほど幻想的な風景。
 夏の夜風にあたりながら眺めることのなんとも贅沢な清涼感。
 
 20年前、僕の生まれたところにはこんな夏の風景があった。
 夏のある一日、仙台でボーッとしていたら、どんな「香」と「音」と「光」があるのだろうか。
 今度やってみようかな。
いまやったら次の日の朝まで寝ていそうだけど…なにも感じずに…

 次は、自称?他称?「夏女」の梅島アナウンサーです。そんなこと言われていたかな??

子どもの頃なりたかったもの

金澤 聡

2007/06/22

今回のテーマは、「子ども頃なりたかったもの」です。

「ジャイアンツの四番」と「若大将」といえば“原辰徳”世代の私は、子どもの頃、プロ野球選手になりたいと思ったこともありました。
そして、アニメは「機動戦士ガンダム」と「キャプテン翼」世代でもある私は、サッカー選手になりたいと思ったこともありました。
「オリンピック」といえば“カール・ルイス”と答える私は、陸上選手になりたいと思ったなど、スポーツ選手に憧れたことが多かったです。

しかし、一番なりたいと思ったのは、お寿司屋さんの「板前さん」でした。
威勢のいい「らっしゃい!」に憧れ、角刈りに憧れ、ねじりはちまきに憧れました。
そして、なによりも、厳つい親方のごつい両手から何であんなに美味しいものが作り出されるのか、その神秘性に憧れました。中学生くらいまでは、普通に『将来はお寿司屋さんで働くんだろうなあ』と考えていました。確か両親にも、『お前の将来はお寿司屋さんで修行することだからな』なんて普通に言われていたように思います。
果たして、人生のどの岐路でお寿司屋さんの道を選択しなかったのかはよく覚えていませんが、もしかすると今頃、「へい、らっしゃい!!」とお客さんを前にして握っていたのかもしれません。

次は、夢見る乙女、出射アナウンサーです。

金澤 聡

2007/06/19

自他ともに認める雨男です。

もし、雨男認定協会なるものがこの世に存在していたら間違いなく「1級雨男士」に認定されることでしょう。
公私ともに大事なときに雨を降らせてきました。

もともとスポーツ実況がしたくてアナウンサーを志しました。
11年前、初のスポーツ実況「リトルリーグ野球中継」の担当になりました。
スポーツ実況という念願の夢舞台。実況の1ヶ月以上も前から緊張の日々。
準備に準備を重ね、さあ実況という日に、大雨。1週間後に延期…。
1週間後。今度こそ実況!と思ったら大嵐。また延期。
結局翌週にようやく曇り空の中、初実況。極度の緊張が幾日も続き、疲労困憊となったのを覚えています。

それから11年後…。今年、自身初のプロ野球実況が巡ってきました。
午前中は雨。試合開始と同時に青空ものぞき、無事中継スタート!
しかし、そこは「1級雨男士」。
みごと雷雨のため7回コールドで試合は終了。雨男の力をまた存分に発揮してしまいました。
こうしてアナログを書いている今も雨が降っています。(写真が証拠です…)

この人は「雨女」?でしょうか。次回は梅島アナウンサーです。

私のイチ押し~食べ物編~

金澤 聡

2007/05/24

私の一押しの食べ物は、太白区西多賀の焼き肉屋さん『花牛』のいわゆる“塩もの”全てです!

以前の焼き肉の食べ方は、“タレ”をたっぷりつけてご飯にのせ、一息ついた所でまず焼き肉を一口で食べて、タレの付いたご飯を三口食べる、これが私の焼き肉流儀でした。“塩”はもっと人生経験を積んで、「肉より魚だな」なんて言い始める頃に手を付けようと思っていました。

しかし、『花牛』で出会った“塩もの”で私の焼き肉観は一変しました。
極上の肉に、上品な塩のハーモニー。
一口食べると、あっさりとしているが旨み凝縮の肉汁の情熱的なタンゴが口に広がり、後から塩と肉の風味がワルツの様にやさしく押し寄せるのです。(言いすぎかな…、書いていてちょっと恥ずかしくなってきた…)
塩カルビ、塩タン、塩ホルモン、塩ミノ、どれも珠玉です。
これまでは焼き網の上に豪快に肉をのせ、タレだく(牛丼の「つゆだく」みたいなものです)のご飯をほおばっていましたが、“塩もの”は本当に美味しい焼き具合で食べたいので一枚一枚丁寧に集中して焼いて食べています。
食を堪能する感覚を『花牛』の“塩もの”は私に教えてくれました。
ぜひご賞味下さい。
でも、そういえば最近、魚を食べることが多いような…。そういえば、30歳後半だし…、塩を好むのはもしかして…。


次は、肉派?魚派?たぶん魚派だと思います、浅見アナウンサーです。違っていたらすいません

旅行

金澤 聡

2007/05/17

入社して以来、ロケで色々なところに行かせてもらいました。北は札幌、南は沖縄、海外ではアメリカ、タイなどなど、中には仕事というよりはバカンス旅行?みたいな、それはそれは楽しいロケもありました。しかし、忘れもしない過酷極める温泉の取材が存在しました。

とある秋田の温泉。川原に湧き出る露天風呂。川のせせらぎをBGMに森林浴。それはそれは最高のロケーションでした。ディレクターの指示のもと、いざ入浴。体全身の毛穴からも発せられたような『あ~っ、気持ちいいですね~ぅ』の一言。カメラで撮影されていることも忘れてしまうような心地よさ。

ところが、次の瞬間、僕の周りを囲む、無数の耳障りなハネの音。ブ~ン、ブブ~ン、ブブブブ~ン。
それはそれは、“アブの大群”!!僕の裸体に襲い掛かってくるではありませんか!
慌てて露天風呂から上がり、タオルをしないまま猛然と50m以上ダッシュ。
難を逃れたと一息ついたとき、何者かがこちらを見ているような気配を感じました。
カメラです!!!一部始終撮影しているではありませんか。遠くこちらを見て爆笑するカメラさん、ディレクター、アシスタント。裸体のまま川原にたたずむ僕。
そのときのテープはいずこへ…。それはそれは恥ずかしいロケとなりました。

次は、今後たくさんのロケを経験するであろう2年目の板垣アナウンサー。新たな伝説が生まれることを期待します!

さくら

金澤 聡

2007/04/18

今回のテーマは「さくら」です。

入社12年目の春。桜の散り行く早さからか、毎年この時期は感傷的になってしまいます。
しかし…、
答えは過去にありました。

研修時期の桜中継で、桜よりも先輩の動きとしゃべりを見つめていた入社1年目。

夕方の情報番組で天気を担当し、緊張しすぎて開花宣言を鬼の形相で伝えていた入社2年目。

仕事に悩みながらも必死に働き、桜の記憶が全く無い入社3年目。

お花見で飲めないお酒を飲み、酔いつぶれた入社4年目。

懲りずにまた酔いつぶれた入社5年目。

桜中継のリポート直前に、お花見客にからまれた入社6年目。

東京に出張中、桜は満開だったが花粉症で不眠が続いた入社7年目。

桜中継で奇をてらい面白い花見グッズを紹介したものの、スベッてしまった中堅どころの入社8年目。

入院してしまい、病室から花見をしていた入社9年目。

視聴者のお宅を取材中、桜の枝を折ってしまい、しばし沈黙が続いた節目の入社10年目。

スポーツ担当に復帰し、取材に東奔西走で桜どころではなかった加齢臭が気になる入社11年目。

感傷的になるのも分かりました。宮城に越してきてから、いい思い出が「さくら」にはないのです。
今年こそ福音のさくらに出会いたい入社12年目の春です。

次は、おそらく「さくら」にはいい思い出満載?の出射アナウンサーです。間違っていたらごめんなさい。

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