宮城の魅力再発見 金澤 聡 2022/06/28 宮城に住んで早いもので27年目。もはや地元といえば、私にとっては完全に宮城です。宮城に住むようになり、食に関しては、セリは根っこごと食べて、その根が美味しいことやホヤというビジュアルはなかなかグロテスクですが、磯の香りと独特の甘みがあって美味なることなど様々な発見をしてきました。故郷・宮城は美味しい特産物で溢れている食の宝庫だと思います。さて、長く住んでいる宮城で食とは関係ありませんが、今年、新たな魅力を再発見しました。今年は各駅停車の電車で宮城を縦断しました。南からは山元町のJR常磐線、坂元駅から仙台駅。北へは、仙台駅からJR東北本線で小牛田駅へ。乗り換えて石越駅までの縦断ルートです。それぞれの駅の佇まいや車窓からの景色が、自分の想像とは異なっていたことが多く大変新鮮な感覚でした。各駅停車の電車移動だけの旅でも新たな発見が多かったので、それぞれの駅に降りて散策すれば、より多くの新たな魅力を見つけることができるのではと心躍らせています。写真は、ユアテックスタジアム仙台にて、ベガルタ仙台の試合開始前に、宮城の市町村のマスコットが集合したイベントを撮影したもの。「そんなマスコットもいるんだ!」と再発見。みなさんは、どのマスコットがどこの市町村かお分かりですか?次は、西ノ入アナウンサーです。
贈り物 金澤 聡 2022/06/10 気にはしていないけど、少し気になるような気にならないような。期待はしていないし、別に何かしてほしいわけではないけど、どこかソワソワするような、しないような。「父の日」です。今年は今月19日の日曜日が父の日です。母の日に比べると、何となく印象が薄い父の日。私も小学生のころ、母の日には「肩たたき券」や「食器洗い券」などと一緒にカーネーションを送った記憶はありますが、父の日に何かをした記憶がないのです。残念ながら。そもそも父の日は、母の日よりもだいぶ遅れて浸透したものですし、誕生の由来も、アメリカのある女性が、母をたたえる日があるならば、父をたたえる日があるべきだと思って、牧師教会へ「父親へ感謝する日も作ってほしい」と嘆願したことから始まったそうです。ある女性が必死に嘆願してやっと誕生した、いわば難産の末生まれたのが「父の日」です。アメリカから日本に「父の日」が輸入されたのが1950年代で、一般的な行事として広まったのは1980年代くらいと言われています。だから、私が小学生の時、何もしなかったのです!!(偉そうに言うことではないですね・・・)いまや完全に市民権を得た「父の日」うちの息子たちも当然知っている事でしょう。だからといって、何か特別してほしいとか、そういうことは一切ありません。最近、肩に痛みがあったり、腰に違和感があったりしますが、別に誰かのマッサージが必要なわけではありません。ちなみにですが、父の日には黄色いバラを贈るそうです。黄色いバラです。バラはバラでも黄色だそうです。写真は、息子たちが母の日に贈ったカーネーションです。父の日が近づいていますが、いまだつぼみが花開き、家の中で存在感を示しています。次は寺田アナウンサーです。
今〇〇に夢中です 金澤 聡 2022/06/01 いま歩くことに夢中です。というより歩数計に夢中です。去年の夏、ひざの大ケガをして入院しました。リハビリ通院を合わせると全治9か月。4月に一応、寛解となりました。とはいえ、何かしらの運動は必要なので、歩くことにしました。継続のためには記録することが大事だと思い、歩数計のアプリをインストールしました。最初は、片足に重心をしっかり乗せながら負荷をかけて歩くようにしていました。それだと歩数計の数値は、歩数は多くありませんが歩いている時間が長くなります。人間は不思議なもので、日が経つにつれ、少しずつ心の変化が起きてくるものです。不退転の決意をしたはずが、あっという間に退転するのです。数値を増やしてクリアすることに快感を覚え、自分の志していた道から外れていくようになります。当初掲げていた目標の “継続” ではなく、“歩数を増やしたい”という欲が湧いてきます。RPG(ロールプレイングゲーム)の勇者のごとく、歩数という経験値を上げてレベルアップし歩数計のラスボス(注:いるわけありません…)を倒しにいくような感覚になるのです。ですので、いまは歩くこと=歩数を増やすことに夢中になっています。休日は、息子を連れてたくさん歩けるような場所に行くようにしています。写真は、お昼を食べに河原でBBQをした時のものです。外で食べれば、たくさん歩けるのではないかという短絡的なものです。息子には私が「勇者」に見えているのか、「歩数計モンスター」に見えているのかは分かりませんが…。とりあえず目標は一日1万歩です。現実は3週間に1回達成するかどうかです。レベルは低いです。次は飯田アナウンサーです。
理想の休日 金澤 聡 2022/05/09 早朝から晩までアクティブに動き回り、カロリーや脂質を気にせずに好きなものを食べまくり、疲労が完全に回復し、心も爽快リフレッシュ !!私の理想は仮想現実にいるアバターにお願いするしかなさそうです。先日、スポーツの仕事で福島県湯本に行ってきました。湯本駅に到着すると駅構内のホーム脇に足湯(写真)が設置されていて電車の待ち時間に誰でも浸かることができます。ほんのり硫黄のにおいが漂い、ホームのベンチに座っているだけで少し温泉気分を味わうことができました。コロナ禍でなかなか気軽に旅行へ行けない日々が続いているので出張にも関わらず、ほんのひと時でしたが旅行の雰囲気を感じて癒されました。そこで思いました。休日にご贔屓のスポーツチームを完全プライベートで全国行脚応援して、そのついでに、ご当地巡りやグルメを楽しむことができれば、これこそ理想の休日なのではないかと。そして、移動時間に好きな本を読みながら、あぁ、いいですね…。応援しているチームが勝利して…、これは、最高ですね…。すみません、執筆しながら、完全にいま愛媛の道後温泉へ脳内旅行していました。想像グルメで “じゃこ天” をいただいてしまいました。まずはもう一度湯本へ行って、足湯につかりながらの理想の休日想像旅行から始めようかと思います。次は西ノ入アナウンサーです。
好きな言葉 金澤 聡 2022/04/26 『目は高く、頭は低く、心は広く』バレーボール世界三大大会のひとつワールドカップバレー。その女子日本代表の実況を担当したときに出会った言葉。当時代表入りしていた長岡 望悠選手への亡きお父さんの言葉です。「目は高く」=目標は高く持ち「頭は低く」=感謝の心を忘れずに「心は広く」=まわりの人への愛を大切に長岡選手を取材したときに感じた佇まいはまさにそうでした。質問に丁寧に答え、取材を終えると丁寧にあいさつをしてくれました。私も大切な言葉として常に心の中に置いています。言動で示せているかというと反省すべき点は多々ありますが、周りの皆さんの「心の広さ」に支えられています。先日の早朝、「ゆりあげ港朝市」へ出かけました。朝6時から活気のある声が朝市に響き渡り多くの人でにぎわっていました。写真は、朝市で食べたものです。“ホッキ飯” “はらこ飯” “水餃子” 残りの一品は…そうです!地元名産の“セリ鍋”です。これが分かった人は、「お目が高い!」この『目は高く』ではないですね、すいません…。朝市の活況な空気を肌で感じ、人とのふれあいを通じて人に優しく生きていきたいと思いました。この話を新人アナウンサーの研修で伝えようと思います。あっ、次は、新人の千坂アナウンサーです。違う話を研修でしようと思います。何にしようかな。
春です 金澤 聡 2022/04/05 4月になりました。進学、就職などで新天地へ引っ越しや移動する春です。駅の新幹線のホームで見送ったり出迎えたりする風景は、今年は難しい春です。先月の地震の影響で新幹線の一部区間が不通となり、移動が困難な状況になりました。いまも続いています。新型コロナに地震にとこの春に入学式、入社式を迎えられる方には、大変な状況になりましたが、今後、幸多からんことを願うばかりです。先月、サッカーJ2リーグのいわてグルージャ盛岡と栃木SCの試合を実況するため岩手県北上市へ新幹線で向かう予定でした。しかし、当時東北新幹線は上下線とも全線運休でしたので、仙台から北上までJR東北本線で乗り継ぎ2回、合わせて3時間近くかけての移動となりました。新幹線移動でしたら約50分。特急列車の存在の大きさを実感しました。各駅停車の列車で県堺のトンネルを越え、北上の競技場に到着すると、そこは雪国でした…。春まだ遠く、雪解け待つ状態でした。気温は3度。ホーム開幕戦を迎えたJ2初昇格の岩手が試合終了間際に同点に追いつて競技場が熱を帯び、体感的に気温が上がったような気がしました。岩手のチームには一足早く少しだけ春が来たゲームした。帰りの車中に思いました。今度は、各駅停車で「平泉駅」か「一関駅」で降りて、家族で蕎麦と観光を楽しもうと。そう気付かせてくれた、疲労感と高揚感が混じった各駅停車の移動となりました。次は。飯田アナウンサーです。
東日本大震災11年 金澤 聡 2022/03/18 “スポーツでは、勝敗以上に価値のある試合がある”先日行われたサッカーJ2リーグ、ベガルタ仙台といわてグルージャ盛岡の試合もそのひとつ。3月12日に行われた被災地クラブ同士の初のJリーグ舞台での対戦。震災からの希望の光として活動してきた両チームの『東北ダービー』でした。ベガルタ仙台は、J1再昇格してから2年目のシーズンに被災。震災発生からおよそ1か月後には、様々な支援や協力があってリーグ戦に参戦。再開初戦の川崎フロンターレに逆転勝利を収め、まさに「希望の光」として、被災したサポーターへ明日に向かう一条の光を見せました。翌年2012年にはクラブ最高位の2位に躍進し、アジアのクラブNo.1を決める、ACL(アジアチャンピオンズリーグ)に出場しました。残念ながら昨年はJ2リーグへの降格が決まり、今シーズンは1年でのJ1復帰を目指しての再起のシーズンを迎えています。いわてグルージャ盛岡は、2011年は東北社会人サッカーリーグ1部に属し震災発生後は被災地に出向きボランティア活動を行っていました。2013年には全国地域サッカーリーグ決勝大会で初優勝を果たし、その年にJリーグ入会が承認され、2014年のJ3リーグ参加が決定しました。そして今年はJ3リーグから昇格し、J2リーグに舞台を移して戦います。震災の影響を受けながらも、クラブの歴史を刻んできた仙台と岩手のチームが対戦した、特別な意味での3月12日の試合でした。胸の透くような青空の下、両チームともに気持ちの入ったプレーを見せてくれました。勝敗よりも、対戦することに大きな価値がある試合。仙台と岩手の『東北ダービー』は震災の教訓と復興の思いを改めて考える大事な試合だと思います。次は高橋アナウンサーです。
卒業あれこれ 金澤 聡 2022/02/22 門出の季節となりました。今春、ご卒業される皆様、誠におめでとうございます。前途洋々たる輝かしい未来になることを願っています。(校長先生風情で申し訳ありませんが、心からそう願っています)ということで今回のテーマは「卒業あれこれ」です。数年前から、毎朝6時前に起床しています。どんなに遅く就寝しても、その時間に起きてしまうようになったこともありますが…。朝早く起きて、まず、水をコップ1杯飲み、体の水分調整をします。これが目覚めのスイッチになります。体内が少し整った後で、今度はみっちり20分以上体操をします。ラジオ体操第1と第2を含め、ストレッチなど入念に体をほぐします。体が温まったところで、筋トレをします。スクワットと腕立て伏せを中心に少し体に負荷をかけます。このルーティンが終わると、朝食です。なにが言いたいのかといいますと、体の悪い数値から『卒業』するために、こんな事をしているというのを言いたかったのです。このところ人間ドックを受ける度に、ある数値を見てはため息を付くというのを繰り返していたので、何かを変えないといけないと思い立って始めました。休日、子どもたちは、私と一緒に公園に行きサッカーを必死にやってくれて私の体調改善に付き合ってくれています。ありがたや。どうも最近、「アナ・ログ」に書くネタが、“健康もの”が多くなっているのが自分でも気になっていますが、健康になって、この話題から卒業したいと切に思っています。次は、西ノ入アナウンサーです。
2月5日は「プロ野球の日」 金澤 聡 2022/02/15 プロ野球はキャンプイン。いよいよ球春到来です。そういえば、9年前の今頃の沖縄県久米島キャンプ。当時恒例となっていた朝の声出しで田中将大投手が宣言しました。『今年の野球界の主役は、俺たち楽天だ!』久米島の早朝、砂浜でその宣言を耳にしたときに寝ぼけていた頭のてっぺんから滝行の冷水を浴びたような衝撃を受け“田中投手ならやってくれるかもしれない”と全身が震え、一瞬で目が覚めたのを覚えています。果たして2013年はその宣言通りに、初のリーグ優勝、初の日本一となり楽天は野球界の主役になりました。田中投手もリーグ戦は1度も黒星が付くことなく24勝0敗という空前絶後といってもいいほどの成績を残し優勝の立役者となりました。さあ、今年も田中将大投手は楽天のユニフォームを身にまとってマウンドに立ちます。チームは戦力がさらに整い、主役になる準備は出来ています。野村さん、星野さんが空から祝福の拍手を送ってくれるようなシーズンになることを期待しています。開幕を心待ちにしています!写真は、先月、出張先のホテルから撮影した雪の神宮球場です。ヤクルトの本拠地ですが、勝手に楽天の白星の吉兆だと思い込んでいます。次は、梅島アナウンサーです。
60周年! 金澤 聡 2022/02/03 仙台放送は60周年、私はそのうちの25年、四半世紀に渡って携わっていることになります。そして、私自身は、今年で50周年。人生を歩んできて半世紀になるわけです。会社は法“人”ですので、「人」に例えたら60歳、私と同じ中年です。お互い元気とバイタリティに満ちた中年になれたらと思っています。私が入社時は、会社からパソコンを支給されることもなく、携帯電話はⅰモード全盛の時代。今思えば、どうやって仕事をしていたのか、忘却の彼方です。実況資料や取材メモはノートに丁寧に書いていたのは覚えています。25年経過して、仕事の環境も相当変わったと改めて感じています。当時ニュースの原稿は手書きで、人によっては字のクセが凄すぎて、「誤読するな!」と厳しく怒られても、そりゃあ無理だよと心の中で呟いていた若き頃。プロ野球の試合が当時、県営宮城球場(現・楽天生命パーク宮城)で開催されるためリポートした際、7度も撮り直し、お客さんから「頑張れよー」と言われコーヒーを差し出された1年目。あれから25年が経ちました。今年最初の仕事は、春の高校バレー全国大会の実況でした。全国大会に出場した古川学園、仙台商業ともに目指していた優勝には届きませんでしたが実にさわやかな姿をコートで見せてくれました。前向きな1年のスタートになりました。60周年、50周年ともどもよろしくお願いいたします。今回のテーマ「60周年!」は私で最後でした。次回から新たなテーマ、“2月5日は『プロ野球の日』”です。トップバッターは下山アナウンサーです。