修学旅行の思い出 金澤 聡 2025/05/26 一番思い出に残っている修学旅行は、中学のときの「奈良・京都」へ行った修学旅行です。といっても、もう40年近くも前のことになりますね。時の経過とともに、色んな記憶が色薄れセピア色なり、中には忘却してしまったものも数多くありますが、修学旅行で1泊修行経験したことは、いまでも鮮明に覚えています。京都の比叡山延暦寺で修行しました。当時は、中学最後の折角の修学旅行で修行って…と思っていたのも覚えています。座禅で足がしびれ、ふらつくと「警策(けいさく)」で肩を叩かれた経験もしました。青色吐息の修行体験でしたが、感心したこともありました。食事中は当然、私語は禁止、音を立てて食べてもいけません。ただ、食事の最後にある作法がありました。お茶碗にお湯を注ぎ、漬物の「たくあん」でお茶碗の内側についていたお米を拭き取るように取り除き、きれいにしてから、たくあんを食べ、最後にお湯を飲みこんで、合掌。洗剤を使わなくても鏡のように反射するお茶碗を見たときに、心がスッと落ち着きました。いまでも「たくあん」を見ると、当時のことを思い出しますので、良い体験だったのかもしれませんね。写真は、先日、小学時代の恩師が、奈良に旅行に行ったときに送ってくれた「東大寺」の写真です。修学旅行で行ったかどうかは…、残念ながら覚えていません。唯一覚えているのは「たくあんで茶碗拭き」です。今回のテーマは私が最後。あすからは、「懐かしの味」がテーマです。飯田アナウンサーからスタートです!
修学旅行の思い出 伊藤 瞳 2025/05/23 高校時代の修学旅行は、奈良・京都でした。海外に行く学校に羨ましさもありましたが、何度もアナ・ログに書いている通り、日本史や神社仏閣に大変興味があった私にとっては大満足でした。大化の改新の舞台だった明日香村や、興福寺の仏頭・阿修羅像、北野天満宮など、それぞれの場所で、それぞれにまつわる歴史に思いをはせ、静かに心の中ではしゃいでいました。そして、この修学旅行では、当時、同じグループではなかった友人とさらに仲良くなるきっかけをくれました。比叡山延暦寺の五重塔をたまたま隣で見上げていた子です。彼女も日本史が好きで、話してみたら意気投合。同じ熱量で話し合える空気感に居心地の良さを感じ、修学旅行内で、お揃いのお守りをいただくほど、仲良くなりました。そのお守りがご縁をつないでくれたのか、彼女とは修学旅行の後もよく話し、よく遊びに行く仲になり、かけがえのない存在になりました。自分たちの関係性を”腹心の友“と名付けたほどです。あの修学旅行から10年経ち、あの時いただいたお守りのひもは途切れてしまいましたが、効果は続いています。先日も、東京から出張で仙台に来た彼女に会いました。高校時代から絵が得意だった彼女は、今「グラフィックレコーダー」として活躍していて、写真の絵を、目の前で描いてプレゼントしてくれました。まず「将来の夢は?」と聞かれて、私が「おばあちゃんになっても、おいしいものをもりもり食べていたい」と言ったら、その発言に合わせたイラストを2分程で書き上げてくれたのです。才能に脱帽です。「修学旅行」がくれたご縁。”おばあちゃんになるまで”ずっと大切にしていきます。このお題ラストは、金澤聡アナウンサーです。
修学旅行の思い出 佐藤 拓雄 2025/05/22 今回もひねくれた話になります。もう40年以上前ですが、忘れもしない中3の時の修学旅行。私は、各クラスから出す「実行委員」みたいなのをやっていました。そこで、教師から議題として出されたのが、服装。つまり、私服でいいのか、制服なのか、という話です。その前年、中2の時は、林間学校で私服でしたので、私は当然「私服で」という意見でしたが、教師たちはどうやら制服を着させたいようなのです。それならそうと最初から言えばいいのに、生徒たちに選ばせる体をとるところが、いやらしさです。当時は、「校内暴力の嵐」は一応収まったちょっとあとですが、いわゆる「ツッパリ」という生徒たちがいて、これがまた修学旅行などになると、どういうわけか張り切って、いかにもワルそうな格好をしてくるのが見えているので、教師からすれば、制服を着させておいたほうが管理しやすいわけですよね。ですが、そういう本音を隠して、いかにも生徒たちの意思で制服を選んだ、とさせたいのが見え見えなのです。私は、毎年学級委員を務めるようなタイプの生徒でしたが、そういう教師には与したくない、というくらいの意地は持っていたので、かなり抵抗しました。その議論の中で、教師側が言ったのが、「京都は制服が似合う街だから」。はああああああ????何を言っているのでしょうか。開いた口が塞がらないとはこのことです。要するに教師たちには何の理もないわけです。ところが、です。世の中というのは恐ろしいもので、そういう教師に迎合する生徒が出てくるんですね。「私もそう思います」って、おいおいお前何言ってんだよ、と言う間もなく、そうなると一気に形成は教師側つまり制服派の意見に傾いてしまい。結局、制服で、となり、しかも形の上では、「生徒たちが自主的に決めました」ということにされてしまいました。大人たちのまやかしにねじ伏せられた痛恨の出来事として、40年以上経った今も、思い出すにつけ、悔しくなります。私も相当しつこいですね(笑)もう一つ言えば、「制服」と言っている、お仕着せのお揃いの服装(こういう言い方もかなり嫌味ですが)、これは、私の中学校では、正式には「標準服」とされていました。あくまで「制服」ではなく、「これがスタンダードです」的な、これまた欺瞞に満ちた呼称です。学校からの文書など残るものには「標準服」と書いておいて、上述の議論のような時も含め会話の時は、「制服」という教師たち。狡賢く使い分けているのが、中学生である私にもばればれなのに、こういうことをしていたのです。私服の高校に進んで、制服だ標準服だ私服だと馬鹿々々しい議論をしなくなったのは清々しました。そしてこれ、今も同じことがあるんですね。ウチの子どもたちの通っていた中学校は、「制服」を「推奨服」と言っていました。「おススメしているだけの服ですよ」ってか?すみません、毒を吐きすぎましたかね。ここまで書いておいてなんですが、中学校にはさほど恨みはありません(笑)でも、世の中には欺瞞に満ちた教師がいるということを知ったのが、中学校の修学旅行であったことは間違いありません。あ、もちろん、結局制服を着て行った修学旅行でも、それ自体には楽しい思い出もありますよ。ではこのへんで。【写真】は、以前「京都駅で」見かけた「ドクターイエロー」です。単に京都駅つながりです。同じ写真を以前にもこのアナ・ログで使っていますが、あしからず。明日は、伊藤瞳アナウンサーです。
修学旅行の思い出 飯田 菜奈 2025/05/21 一番思い出に残っているのは、小学6年生の修学旅行です。行き先は栃木県の日光市。日光東照宮で参拝し、いろは坂をドライブして、竜頭の滝と華厳の滝を観賞。日光と言えばの王道のコースをまわりました。事前の授業で、それぞれがどんな場所なのかしっかり勉強してから出発。初めての場所を、大好きなのクラスメイトと一緒に訪れることができるとあって、ものすごく楽しみな気持ちと、同時に、修学旅行が終わると卒業の時が近づいてしまう寂しさで、修学旅行に行きたいけど行きたくない…(笑)という複雑な心境だったことを覚えています。同じ学年に雨女or雨男がいたのか、遠足に続いて、修学旅行中も雨が降ったりやんだりのあいにくのお天気でしたが、華厳の滝を訪れた瞬間に晴れ、綺麗な虹が出る中、全員での集合写真を撮れたこと。日光東照宮の「眠り猫」と「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿の彫刻が、想像していたよりも小さく、ちょっぴりがっかりしたこと。がっかりしながらも、猫や猿のキャラクターをモチーフにしたキーホルダーや文房具などのお土産を、友達とお揃いにしてたくさん買ったこと。旅館での夜、お決まりの枕投げや、先生にばれないように部屋を移動して、みんなで笑いあったこと!今でも鮮明に思い出せる、楽しかった瞬間がいっぱいです。だからこそ、その修学旅行以来、日光は行っていません!思い出を大事にしたいので、行かないようにしていました。いつの日か、再び、小学校の仲良しメンバーと一緒に訪れ、同じコースで日光を巡るというのが密かな夢です!☆写真☆「あらあらかしこ」で、新人・門間アナの新コーナーが始まりました!題して「門間のフレッシュ通信」。月に一回程度、あらかしに門間アナも登場しますので、あたたかい応援をよろしくお願いします!お次は、佐藤さんです。
修学旅行の思い出 千坂 紗雪 2025/05/20 小学校では岩手県、中学校で東京など関東圏、高校で大阪・京都など関西圏に行きました!小中高と県内の公立学校でしたので、ご覧になっている方の中にも「3カ所とも一緒です~!」という方もいらっしゃるのではないでしょうか^^岩手県では盛岡冷麺を食べたり、石割桜を見たり、宮沢賢治記念館に行ったり、関東圏ではディズニーランドに行ったり、浅草に行ったり、国会議事堂に行ったり、関西圏では、お好み焼きを食べたり、海遊館に行ったり、清水寺に行ったりと、三度とも先生方が一生懸命考えて下さったモデルコースをしっかり満喫した記憶があります!!ただ、修学旅行と言われて一番最初に思い出したのが、高校時代の修学旅行でのクラスメイトの行動でした。「普段から冷静に面白いことをする男の子」が同じクラスにいたのですが、修学旅行中、道頓堀で大阪のおじさんに声をかけられていました。クラスメイト達は「何かに巻き込まれたのかな?」とざわざわしていたのですが、次の瞬間、2人でなぜか腕相撲を始めていました!当時も、なぜ始まったのか分からないのですが、今考えても不可思議です。道頓堀の端っこで、知らないおじさんと腕相撲をする「冷静に面白いことをする男の子」の画が今でも忘れられません。そこで何かパッションを感じたのか、その男の子は関西の大学に進学しました。なんだか不思議な空間でしたが、誰と行ったか、誰と話したかなど、コミュニケーションの中で楽しみを見つけていくのも旅行の醍醐味だと感じた瞬間でした!写真は「スポルたん!RISE」の1コーナー「突撃!RISECAM」での一コマです!この日は仙台89ERSの渡辺翔太選手に突撃し、ブースターのみなさんからの質問に答えていただきました!ご家族とのほっこりエピソードも!これからも選手のみなさんの意外な一面を引き出します!次回は飯田菜奈アナウンサーです。
修学旅行の思い出 高橋 咲良 2025/05/19 山形県出身の私は、小学校では「栃木」中学校では「東京」高校では「奈良・京都」へ修学旅行に行きました✨オーストラリアや、広島、鎌倉、長崎と…皆さん行き先が多彩ですね!「栃木」へ行った小学校の修学旅行では、日光東照宮や、足尾銅山、華厳の滝、鬼怒川温泉、那須ハイランドパークなど…!魅力的なスポットを沢山巡ったのですが、それより何より私が印象に残っているのが、「おみやげを買うこと」です!それが、何だかとっても楽しかったんです。思えば家族と離れて自分だけで旅行に行ったのは、小学校の修学旅行がはじめてだったかもしれません。山形にいる家族に旅行の楽しさをおすそ分けしたい!栃木の名産品を持って帰りたい!と、張り切っていました。持たせてもらったおこづかいの中で、いかに沢山買えるか!お土産屋の店員さんにおすすめを聞いたり、友達と相談したり、試食したりしてお土産を選ぶのは、何だか大人になった気がして、とっても楽しかったのです。熟考した結果、箱の包装紙いっぱいにフレッシュないちごがプリントされて見た目も可愛らしく、内容量も多かった、栃木産いちごを使ったパイを買ったことは良く覚えています。その時に、男子に爆発的な人気を誇ったお土産が、金色や銀色に輝く、刀や盾のキーホルダー。2歳下の妹が修学旅行へ行った時に、それを買ってきた時には「でたぁ!」と思いましたね(笑)訪れた名所だけでなくて、こうしたちょっとした経験も、20年ほどたった今でも覚えているくらいですから、修学旅行はかけがえのない経験だと、改めて思いました🌸これから修学旅行を控えている皆さん!目一杯楽しんでください!☆写真☆2019年に小学校の修学旅行以来およそ20年ぶりに、日光東照宮を訪れた時のものです!あの頃はきちんと見ていなかった(笑)陽明門の豪華絢爛な装飾に息をのみました。続いては、千坂アナウンサーです♩
修学旅行の思い出 西ノ入 菜月 2025/05/16 埼玉県出身の私の修学旅行先は、小学生の時は栃木の日光、中学生の時は京都・奈良、高校生の時は北海道でした。それぞれ様々な歴史がある場所に行けてとても勉強になりました。中でも特に印象深かったのは、小学生の時に行った日光です。歴史の教科書でも見ていた日光東照宮の陽明門を間近で見たときは、あまりの煌びやかさに思わず息をのみました。隅から隅まで建物の彫刻や構造を観察しては、1636年の建築当時の技術の高さに驚いたことを覚えています。さらに、その東照宮薬師堂の天井に描かれている「鳴き龍」の絵は衝撃的でした。事前学習で鳴き龍の写真を見ていた時から期待値は高かったのですが、いざ、天井いっぱいに描かれている大迫力の龍を見ると、少し恐怖を覚えるほど大きく力強く、圧倒されました。今にも動き出しそうで、まるで息づかいも聞こえてきそうなほどとにかくリアルだったんです。また、その名前の由来ともなったように、龍の頭の下で拍子木を叩いて鳴らすと「リイイーーーン!!」という甲高い鈴を鳴らしたような音が反響し、まるで龍の鳴き声かのような音に包まれるのです。空想上の存在とはいえ、「実際に龍がいたらこんな鳴き声なのかな」、「意外と高い鳴き声だな」などと、いろいろな感想を持ったことも思い出です。12歳の自分にとっては全てが魅力的で、とても満足度の高い修学旅行になりました。写真は、その日光がある栃木県のお隣、茨城県にある「国営ひたち海浜公園」のネモフィラ畑です。ずっと見に行きたかったネモフィラ!約530万本植えられていて、辺り一面ネモフィラの海のようでした。海浜公園なので本物の海も近く、青い海、澄んだ青空、淡い水色のネモフィラと、視界のすべてが自分の大好きな色でもある青1色となり、癒される旅でした。次は高橋アナウンサーです。
修学旅行の思い出 下山 由城 2025/05/14 肉派から魚派に変わった理由が修学旅行です。それは中学時代のこと。贅沢なことに行き先はオーストラリアでした。人生で初めての海外!異文化に触れる機会はとても刺激的でしたし、シドニー・オペラハウスの外観を見たときは感動しました。ただ…食事が合いませんでした。連日オージービーフ(硬くてあまり美味しくない…)を食べていたら、肉に飽きました。何日目かにディナーで食べたチョコレートケーキは、今のところ人生でワーストです。帰国後に食べた焼き魚が美味しすぎて、そこから魚派になりました。それまで圧倒的に肉派だったので、魚の魅力に気づかせてくれたこの旅は、私に人生で重要なものになりました。元々好き嫌いは少ない方ですし(肉も決して嫌いになったわけではありません!むしろ好きです)、大人になってから食の好みの幅はさらに広がったので、改めて「食」を楽しみにオーストラリアを訪れてみたい気持ちはあります。悪いイメージを払しょくするためにも(笑)。食べ物以外では交流戦をしたことが印象的です。どういう経緯だったかは忘れましたが、現地の学校の生徒とバスケ対決をしました。なぜかバスケだけ行われ、他の生徒たちの応援を受けながら、バスケ部のメンバーが出場するという謎のイベントです。私は中学時代でも180㎝くらいあったので、日本では結構大きい方だったのは間違いないのですが、オーストラリア人はもっとすごかった。相手が190㎝以上の身長がありそうな人ばかりで、体格差でやられました(笑)。シンプルに楽しかったですけどね!というわけで今回の写真は魚です。最近食べた鰆のポワレ!おさかな最高!お次は西ノ入アナウンサーです。
修学旅行の思い出 門間 陸斗 2025/05/14 小中高と3回の修学旅行。その内、小中の修学旅行はなんと雨。その2回の修学旅行は、雨だったという記憶が半分くらい締めているので、唯一晴れてより記憶の新しい高校の修学旅行について話したいと思います。高校2年生の12月に3泊4日で大阪・広島へ修学旅行へ行きました。人生初の広島は、日本三景のひとつに数えられる厳島神社や原爆ドームへ行き、広島風お好み焼きを食べた思い出が色濃く残っています。厳島神社は、あの有名な鳥居がなんと工事中。カバーが掛けられており、友人とは「逆に新鮮な景色だよね!レア体験!」と苦し紛れに話していた記憶があります。原爆ドームは、被爆者の方から直接お話を聞く機会もあり、想像を絶する当時の状況、平和への強い願いを感じました。高校生ながらに平和について考え、今の生活に感謝する気持ちを再確認するきっかけになりました。どの学校でも先生から言われていると思いますが、「今回は修学旅行であり、観光旅行ではありません」という言葉。我々がその言葉を顕著に感じさせられたのが、「夜はスマホ没収」というルール。始めは、先生方へのブーイングもあり、納得がいきませんでした。しかし、スマホが無ければ無いで友人と部屋に集まってトランプやUNO、枕投げなどとにかく楽しく過ごすことが出来ました。普段は、スマホに夢中になっていて忘れかけていた「スマホがない生活」、不便な所もありますが純粋に人との会話を楽しむことが出来る良い経験になったと思います。振り返ってみると、写真はほとんど残っていませんが、記憶には残っています。今になって考えてみると、「修学旅行」は自分の価値観や色々な人との関わりを深める大切な経験だったなと思います。この写真は、5月1日の夜刊の初鳴き後に撮って頂いた写真です。私的には悔いの残るデビューとなりましたが、温かい目で見守ってくださったアナウンス部の皆様に感謝しています。これからより高みを目指して頑張っていきます!次は、下山アナウンサーです!
修学旅行の思い出 堤 勇高 2025/05/13 小学6年生の時、修学旅行で鎌倉に行きました。有名な大仏をはじめ寺社仏閣をめぐるもので、班行動に関しては各班で行動計画を立てるルールでした。班長になった私は中心となって行動計画を立てていきましたが、当時はありとあらゆることに欲張りだった性格もあり、なるべく多くのスポットを巡りたい!と息巻いていました。このお寺とこのお寺は外せない、このバスに乗れば最短で到着できる……結果、詰込みに詰め込んだ行動計画は分刻みのスケジュールに。売れっ子芸能人も驚きの慌ただしさとなってしまいました。寺社仏閣めぐりは比較的予定通りに進んだのですが、問題が起きたのは昼食の時間でした。「お昼もどうせなら鎌倉ならではのものを!」と選んでいたのは鎌倉で有名だというカレー店。計画通りに進んでいた「午前の部」に満足しながらお店に到着すると、店の前には長蛇の列。入店まで1時間は待ちそうな様子でした。小学生の私は有名店がお昼時に並ぶということも、もしそのお店に入れなかったらどこでお昼を食べるかというプランも、全く計画に入れておらず、唐突にやってきた計画外の出来事にかなり慌ててしまいました。結局、15分ほど街中を探し回って、ちょうど人数分の席が空いていた和食のお店に入ることができましたが、分刻みのスケジュールにとってはかなり痛いロスとなりました。それ以降、お出かけの計画はかなりの余裕をもったスケジュールを立てるようになりました。出先でかなりの暇ができてしまうこともあるので一長一短ではありますが……写真は先日いただいたお弁当です。あまりに豪華で、思わず写真に撮ってしまいましたので、修学旅行と全く関係ありませんがご容赦を。次は門間アナウンサーです。
修学旅行の思い出 梅島 三環子 2025/05/12 ゴールデンウィークも終わり、そろそろ修学旅行…という学校が増えてくるのではないでしょうか?(今年は4月に大阪・関西万博に向かった気仙沼の修学旅行生もいたようですね!)ということで、きょうからのテーマは「修学旅行の思い出」です。私の場合もう一度行けるとしたならば、高校の時の修学旅行に行ってみたいです。私の出身地は、静岡県静岡市。行先は、福岡・長崎でした。色々行った中でも、カトリックの学校ということもあり長崎の教会巡りが印象に残っています。修学旅行ということで、様々な教会で私たちの学校のためだけにミサが開かれました。当時はその価値もわからず、早起きをさせられた、ずいぶん長い階段を上らされたなど…文句ばかりでしたが、いざ大人になってみてその教会の歴史と価値を知ると、すごい体験をしていたことに驚きました。しかし、時すでに遅し…。修学旅行先をもっとしっかり見ておきたいと、大学時代にお金を貯めて改めて行ったのですが、教会の中も奥までは入れず、目の前の椅子に座ってミサを受けたことは修学旅行特権だったことに気づきました。教会に限らず、そんな場所ばかり。まさに、お金では買えない価値があることを痛感した瞬間でした。それから、長崎港から船に乗り五島列島の福江島にも行きました。ここも趣深い教会があって素敵だったのですが、島での思い出は教会よりも高浜海水浴場の美しさ。「日本一美しい海」とも呼ばれているそうで、ガイドさんに「夏に来るといいよ」と言われ絶対行くと心に誓ったことを覚えています。しかし、これまた修学旅行のスケジュールに入っていたから行けただけで、一から自分で旅行の計画を立てるとなるとなかなか一歩が踏み出せない状況です。指示された場所に行き、指示されたことをし、「やらされている感」を強く感じていた残念な生徒でしたが、今になっては先生方の作ってくださった素晴らしい修学旅行プランに感激しています。なんで価値に気づけなかったかなぁ(涙)写真は、アスパラの炭火焼。こういうシンプルなものが一番おいしいことに気づいたのも大人になってからですね…。明日は、堤さんです。