振り返る2025 佐藤 拓雄 2025/12/16 【写真】は、仙台放送の斜め向かいに今年オープンした大型ショッピングモール。冬になり、毎晩イルミネーションが点灯しています。オープンで、今年、仙台放送周辺の景色や人の流れ、利便性が大きく変わりました。さて、個人的には、自宅の家電を相次いで買い替えた2025年でした。どれも、経年劣化や故障のためで、いつかは、とは思っていたものの、痛い出費です。特に参ったのは、電気温水器。ある日突然アラームが鳴り、動かせなくなりました。修理を依頼したところ、部品の保管期限を過ぎているため、修理不能、買い替えしかないと言われました。確かに、15年以上は使っていたのですが、急な出費というにはあまりに大きな金額で・・・しかも、受注生産品とのことで、交換までおよそ1カ月。その間、自宅の風呂に入れないわけです。近所にいる父などを頼ってどうにかしのぎましたが、真夏や真冬でなかったのはせめてもの救いでした。冷蔵庫も買い換えました。こちらも高校生の次男が生まれる前からのものでしたので、16年以上。ここへきて、冷「蔵」室に入れてあるものが、凍ってしまうという現象が発生。冷蔵庫全体ではなく一部の場所のことなので、なんとなくごまかしながら使っていましたが、電気温水器の故障でひどい目に遭ったこともあり、突然止まってしまう前に買い替えを決断しました。分かっていたこととはいえ、これもかなりの出費でした。以前にも似たようなことを書いたように思いますが、家電の更新は、永遠の課題ですね。家電製品に頼り切った生活の裏返しでもあり、だったらそれに備えて計画的に積み立てでもしておけばいいのかもしれませんが、そこまで計画的で緻密な人間ではなく・・・このほかにも、ちょっと危ないと思う家電はあり、それを思うと憂うつです。次は、2025年にアナウンサーとしての一歩を踏み出した、門間陸斗アナウンサーです。
電話あれこれ 佐藤 拓雄 2025/12/01 【写真】は、先日乗った東北新幹線車内です。このような状態になってずいぶん経つはずですが、かつて公衆電話が置かれていた場所。まだご丁寧にこのような張り紙がしてありました。生まれた時から携帯電話が普及していた世代の方にはピンと来ないでしょうけれど、新幹線の公衆電話、30年以上前の就職活動中は非常にお世話になりました。少なくとも庶民に携帯電話はなく、メールはもちろん、パソコンも庶民が持っているはずもない時代。若い方は、原始時代か?と思うのでしょうか。まあともかくそんな「デジタル原始時代」に、就職活動の連絡ツールは、何と言っても電話です。志望する企業の人事担当者に直接電話をかけることから始まり、面接等で次の段階に進むことを知らされるのも電話。携帯電話ではありません。自宅の固定電話にかかってきますので、留守番電話は必需品中の必需品でした。私が仙台だったこともありますが、就職活動が立て込んでくると、連日新幹線で長距離移動の繰り返し。そうしているうちに、採用選考結果の電話がかかっているわけです。そこで重要なのが、新幹線の公衆電話。そこから自宅の固定電話の留守録をリモートで聞くのです。呼び出し音が鳴る回数で、まず留守電のメッセージが入っているかどうかが分かります。「通過した人にのみこの時間に連絡」というパターンだと、留守電メッセージの有無で、合否の推測がついてしまうことも。そして、公衆電話のプッシュボタンで遠隔操作。次に進んだか、ここで残念か。通っていればニンマリ、落ちてしまえばガックリ。その繰り返しでした。そんな青春の1ページ、新幹線の公衆電話。ちなみに、仙台放送の内定連絡は、最終面接後、ちょっと寄り道をしてから仙台の自宅アパートに帰ったところ、早くも留守番電話に人事担当者から「折り返し電話をください」というメッセージが入っていました。はやる心を抑えながらすぐに折り返し、うれしい知らせをいただいたと記憶しています。明日は伊藤瞳アナウンサーです。伊藤さんも携帯電話のない時代を知らない世代ですね。
文具あれこれ 佐藤 拓雄 2025/11/18 実際問題として現在の私の主な筆記具はパソコンやタブレットですが、肉筆の筆記具としては、少し太めのシャープペンシルを好んで使っています。0.7とか0.9。(1.3という極太も試しましたが、さすがに太すぎました。細かい字が書けません(笑))それはともかく、うちの子どもたちが通っていた小学校は、シャーペン禁止でした。思い返すと、私もそうでした。どの小学校でもそうなのかは分かりませんが、なぜシャーペン禁止なのか、全く意味が分かりません。シャーペンのよさは、鉛筆と違って丸まらず、いつも同じ太さで書けること。短くなることもないし、消しゴムで消せる。場合によっては、シャーペンのほうがコスパもいいように思います。つまり、授業や宿題でたくさん字を書く小学生にこそ、シャーペンが最適だと思うのですが、いったい何の理由で、小学生に禁じるのか。昭和の時代ならいざ知らず、現代の小学生にどういう意味があるのでしょう。「悪しき慣習」というのか、小学校独特の「理由なき縛り」というか、全く合理性を感じません。私の小学生時代は、漢字を1つにつき100回とか、恐ろしいほど文字を書かされ、かつ、とんでもない分量の宿題が出されました。当然鉛筆はあっという間に丸まっていき、それを何度も削るのが実に面倒でした。中学生になった途端、シャーペンも全くOKで、それも意味が分かりませんが、「鉛筆削りストレス」は一気になくなりました。以前、このアナ・ログで、「制服」を押し付ける学校の欺瞞について書きましたが(という書き方もかなり悪意がありますが(笑))、鉛筆ルールも一度立ち止まって考えなおしてほしいものです。【写真】仙台放送社内で見かけた手回しの鉛筆削り。「仙台放送」のシールの字体が、私の入社以前のもののように見えますので、かなりの「年代物」と思われますが、「現役」で使われています。明日は、千坂アナウンサーです。
冬になる前に… 佐藤 拓雄 2025/10/22 冬になる前に、クマの被害が後を絶ちません。県内でも、人がクマに襲われたとみられる被害が出ました。各地の被害のニュースを見ていて驚くのは、クマが人を怖がっていないと思われる点。そのような指摘をする専門家もいました。今まで、「ヒグマは攻撃性が強く凶暴だが、本州にはいない。本州にいるツキノワグマは、基本的に人を襲わない。人を怖がるので、近寄らない・近寄らせない、驚かせなければよい」というような「常識」が言われ、私もそういうものなんだろうな、と思っていましたが、それが通用しなくなっているように感じます。県内での被害でも、山に入る際に爆竹を鳴らしたが、それでもクマが近寄ってきて襲われてしまったようだといいます。先日、数年前にクマに襲われた人の体験談を新聞で読みましたが、私たち報道する側が「命に別状はない」と伝えていることの内実、つまり、命は助かっても、想像を絶するような大けがで、後遺症も大きいということを改めて思い知りました。冬は餌がないため、冬になる前に餌をたくさん食べて栄養を蓄える、という冬眠の本質を考えると、十分な餌を食べられないまま冬になったらどうするのだろう、まさか冬も餌を求めて、クマがウロウロするのだろうか。恐ろしいことです。【写真】紅葉が始まった仙台放送前の街路樹。冬になる前に。明日は、飯田アナウンサーです。
スポーツあれこれ 佐藤 拓雄 2025/10/16 あの猛暑がおさまり、すっかり秋の空気になりました。そこで、私もようやく徒歩通勤を再開しました。と言っても、今は帰宅時のみですが。猛暑の中の徒歩通勤はさすがにありえませんが、そうすると当然運動不足になります。ほぼ毎日、往復の通勤を妻の運転に頼って送迎してもらい、夏場の通勤を快適に過ごせましたが、スマホの歩数計を見ると一日5千歩も行かない日がほとんど。日常的にスポーツをする習慣は全くありませんので、徒歩通勤が唯一の運動という状態です。それまでしないとなると、さすがに健康によくない。かといって、猛暑の中の徒歩なんて、もっと健康によくない。というジレンマに夏は陥ってしまうのです。だったら、夏場でも夜や早朝に運動すればいいじゃないか、という声もありそうですが、習慣がないというのはイコールそういうことをしない、ということなので・・・どうでもいい話に終始してすみませんが、「スポーツの秋」とはよく言ったものだなあと、最低限の運動を再開しながら思う今日この頃です。【写真】今月、仙台放送の斜め向かいにオープンしたイオンモール。仙台放送4階から撮影。周辺の景色が大きく変わりました。私はオープン4日目にしてようやく訪れたのですが、お題の「スポーツあれこれ」に無理やりこじつけると、店内で、ある楽天イーグルスの選手を見かけました。もちろん声をかけたりはしませんでした。明日は、堤勇高アナウンサーです。
秋といえば… 佐藤 拓雄 2025/09/30 この秋は、すでに4回くらいサンマが我が家の食卓に上がりました。ここ数年では考えられないくらいの頻度です。もちろん、豊漁で価格が安いから。去年までは、もはや高級魚の部類になってしまうのかと残念に思っていましたが、今年は違います。サンマはやはりおいしいですね。逆に心配なのが、カツオ。気仙沼市の水揚げ日本一が、今年途切れてしまうことがかなり現実味を帯びてきました。震災の発生した2011年も、壊滅的な被害を受けた魚市場を何とか復旧させて日本一を達成。気仙沼のみならず、仙台に住む私も、大いに勇気づけられたことを忘れられません。ただ、先日の会見で、気仙沼市長も言っていたように、自然相手なので仕方ないことだとは思います。それにしても、サンマにしても、カツオにしても、はたまたウナギにしても、不漁になる度に出てくるのは、温暖化だとか海水温上昇だとか、いろいろな外的要因はありつつ、結局実際の生態は分からないことも多い、という話。それを解明してどうとか、ということよりも、自然の恵みをいただいていること、当たり前ではないことを毎回感じさせられます。コメもそうですね。かと言って、ありがたいという感謝の気持ちだけではお腹はいっぱいにならないので、そこが人間の弱いところ。人間の中でも、食べ物を一切生産しない部類に入っている私としては、なんとも歯がゆいところです。明日は、下山アナウンサーです。下山さんは、秋もお酒が中心でしょうか(笑)
今年の夏の思い出 佐藤 拓雄 2025/09/12 何回か前のこのアナ・ログに書いたように、16歳のトランペット奏者・児玉隼人さんのリサイタルに行ってきました。素晴らしかった。堪能しました。アンコールの「トランペットラブレター」、心に沁みたなあ・・・【写真】は終演後張り出されたアンコール曲目です。そしてこの夏は、伊坂幸太郎の新刊を2冊読みました。いつものように、発売と同時に買っても、細切れ読書になったらもったいないので、あえてすぐには読まず、自分の中でのタイミングを待って味わいました。その1冊、短編集「パズルと天気」には、かなり以前の作品も収録されていましたが、私にとってはすべて未読の「新作」。私は伊坂幸太郎作品は全て読んでいますが、単行本でしか読まないので、雑誌掲載やアンソロジーの一編のようなものは、過去の作品でも「チェック漏れ」があるわけです。しかしそれは、未読の作品を読めるということであり、うれしい限りです。「パズルと天気」は、どちらかと言うと、伊坂さん自身が言う「物騒な話」ではない短編で構成されていますが、改めて感じたのは、伊坂幸太郎作品のバリエーションの豊かさ。伊坂作品は、大きく括れば、「物騒な話」と「物騒ではない話」、「SFっぽいもの」と「そうでないもの」などというように、いくつかの系統に分けられるかもしれませんが、それにしても本当にいろいろな作品があります。そして、そのどれをとっても、私には「伊坂幸太郎らしい」と感じられます。バリエーション豊富なのに、作風が安定しているというのか、絶対に期待を裏切りません。急に話が変わりますが、以前、元メジャーリーガー・イチロー選手の全安打を一挙に見せてくれる番組がありました。確か、当時3000安打を達成して、それをすべて見せるという、壮大かつマニアックな番組でした。試合ではなく、ひたすらイチローのヒット映像が続いていくのですが、これが非常に面白かった。見ていくうちに感じたのが、実にいろいろなヒットがあるのに、そのどれもが「イチローらしい」ということ。内野安打も、外野を深々と破る長打も、ポテンヒットも、セーフティーバントも。どれを見ても、「イチローだなあ」と。つまり何が言いたいかと言うと、一流と言うのはそういうことで、何をやってもその人らしくなるということなのかもしれず、伊坂作品もそれに通じるものがあると、私が勝手に思っているということです。児玉隼人さんの音色と伊坂幸太郎作品を堪能し、イチロー選手に思いを馳せた夏でした。このテーマは私が最後でした。次回からは新たなテーマで、飯田さんから始まります。
暑い時に食べたいフルーツ 佐藤 拓雄 2025/08/26 暑い時期と言えば、スイカ。暑くなる少し前、熊本産が出回り始めるとそわそわします。1個丸ごと買うのは、家族がそこまでスイカ好きでもないので、躊躇しますが、カットされたものは、つい買ってしまいます。カットされていてもやはり熊本産が美味しい。お隣山形の尾花沢産も美味しい。長男の野球の遠征で山形に行った時には、国道沿いの直売店で買って帰りました。北海道の真っ黒いスイカ、でんすけも美味でした。暑い時に限らず、一年中食べたいのが、スイカです。・・・と、ここまでの話は、全て私ではなく、妻の話でした。スミマセン(笑)妻はこのように、とにかくスイカ好きですが、私はと言うと、さほどスイカにそそられません。理由ははっきりしています。味は好きなのですが、食べにくい。その一点です。ベトベトする、汁がこぼれる、そして、種を間違って噛んでしまった時の食感が嫌。しかもその種がどこに潜んでいるか分からないから困ります。種のないスイカを、赤くて甘いところだけ小さく切り分けてもらえれば、美味しくいただきます。味は好きなのです。【写真】は、先日父が買ってきてくれた尾花沢産のスイカ。かなり重たくて、それだけでいかにも甘そうでしたが、期待通りでした。私は、種を嚙まないように、慎重に食べました(苦笑)という私が好きな夏の果物は、桃です。子どもの頃、父の実家(福島)に行くと、祖母が桃を何個もたくさんむいて、氷と一緒に大きな皿に入れてドサッと出してくれました。これが何と美味しかったことか。福島が桃の名産地とはいえ、今思えば、とても贅沢なことです。孫のために奮発してくれたのかもしれません。桃というと、いつも祖母が出してくれたもの、父の実家の風景やにおいまで思い出します。明日は梅島さんです。
8月8日は「親孝行の日」 佐藤 拓雄 2025/08/13 大学の卒業論文は、「井原西鶴の研究」でした。実際の中身は、西鶴の作品の一つ「本朝二十不孝」を論じたものです。この「本朝二十不孝」という作品は、親不孝者の話ばかりを集めた短編集で、中国の「二十四孝」という説話集のパロディと言われています。本家の「二十四孝」は、文字通り親孝行の話を集めたもの。その向こうを張って、親不孝話。道徳的な「よい子」の親孝行話ではないからこそ、人間ってこうだよなあ、と何度も頷いてしまいます。文学研究のほんの入口をかじった程度で言うのはおこがましいですが、私は「文学」とは、「人間とは何か」を問い、描くことだと思っています。その観点で言えば、西鶴の描いた親不孝者たちは、まさに人間のありようそのもの。今も昔も変わらない人間の姿と、それを見つめる西鶴の鋭さと想像力。300年以上前にこんなことをフィクションとして書いた人がいること自体も面白いというか。お題の「親孝行」からどんどん逸れてしまいましたが、親孝行の正反対である親不孝の物語が魅力的なのは、人間の本質をズバッと捉えているからなのでしょう。ちなみに、卒業論文そのものは大した出来ではなく、400字詰め原稿用紙で約200枚と、枚数だけでねじ伏せたようなものですが、大学は卒業できました。卒業証書もあります(笑)さらに蛇足の私事ですが、その卒論を審査した当時の担当教授からの強い勧めで、今年、夏目漱石に関する論文を書き、審査を経て学会誌に掲載されました。去年放送した、漱石の手紙に関するニュースの企画を見た恩師から、「このようなことは研究者の誰も調べていない。論文にして形として残した方がいい」と持ち上げられて調子に乗り、上記の卒業論文以来の研究論文執筆となりました。仕事ではないので、仕事以外の時間に少しずつ進め、執筆には半年かかってしまいました。素人論文で内容は反省点が目立ちますが、ともかく恩師には恩返しができ、これも一つの「親孝行」だとほっとしています。【写真】は、東京にある「漱石山房記念館」。漱石が最後に住んでいた自宅の一部を再現した箇所です。このテーマは私が最後でした。次は別のお題で、新人の門間陸斗アナウンサーからスタートです。
夏に楽しみなこと 佐藤 拓雄 2025/07/25 若きトランペット奏者・児玉隼人さんのリサイタルを楽しみにしています。明日、7月26日です。児玉さんは、2009年生まれの16歳。ちょうど1年前の去年の今頃にも、仙台フィルと共演したのを聴きに行きました。【写真】はその時のもの(この日はカーテンコールの撮影が許可されていました。ただし、児玉さんはここには写っていません)。15歳(当時)とは思えない音色と技術。この年齢でなぜこれほどの演奏ができるのか、言葉を選ばずに言えば、理解できません。かと言って、老成しているところは微塵もなく、若さ全開の瑞々しさにあふれています。私は少しばかりトランペットをやったので、その経験で言えば、トランペットという楽器は、とても難しい楽器(と私は思っています)で、そもそもきれいな音を出すこと自体が、なかなかできるようにならないものです。と同時に、(一流奏者の)音色は、これほど美しい楽器もないとも思っています。何度かここにも書きましたが、私は、トランペットで音楽大学を目指して挫折した経験があります。小学校低学年の頃、父が買ってきたあるトランペットのレコードを聴いて、全身に電流が走ったというか、これだ!と思ったのです。その時から、トランペットの音色は私の永遠の憧れ。理由などありません。好きだから好きなのです。好きこそものの上手なれとは言いますが、私の場合、音楽で身を立てようという挑戦に挫折し、残念なことにトランペットは私の中で永遠の心の傷にもなってしまいました。それでも、楽器を離れて30年以上経った今も、聴くことだけは離れられません。トランペットの音色で「傷」がうずくということはなく、美しい音を聴きたいという欲求が勝りますし、音色を聴けばたちまち至福の時が訪れます。そんなわけで、明日、児玉隼人さんの音色に酔いしれてきます。次は飯田さんです。