佐藤 拓雄
2026/03/11
震災後何度も取材させていただいた方から、先日カキをいただきました。
津波で、自宅と養殖施設を流され、そこからカキの養殖を復活させた方です。
お礼の電話をしたところ「俺も70になったけど、80歳までは頑張るから」とおっしゃっていました。
絶望的な状況のなかでも希望を失わずに踏ん張り、15年経った今も前向きな様子で、頭が下がります。
いただいたカキはいろいろな食べ方をしましたが【写真】はその一つ。ソテーしたカキのペペロンチーノです。濃厚なうまみのカキがパスタに合い、実に美味しかったです。
ところで、最近、奇妙な言葉を耳にしました。
「災害文化」
仙台市の音楽ホールと震災メモリアル施設の複合施設の計画の中で出てきた言葉です。
仙台市は、「災害は発生するものと認識した上で、災害が起きても、それを乗り越える術を持った社会文化を『災害文化』と呼ぶことにした」と説明しています。
ちょっと検索してみると、学問の世界では前から使われていて、今突然出てきた言葉ではないようです。
しかし、私の無知と理解力不足で、仙台市の説明も、いくつかのサイトの解説も、何を言っているのかちっとも分かりませんでした。
それ以前に、「災害」という言葉と「文化」という言葉は、水と油というか、私の中ではどのようにしても結び付きません。
災害の教訓を生かす、あるいは、災害は繰り返し起きる、ということは当然の認識ですが、しかし、なぜそれが「文化」と結びつくのか。
感情論かもしれませんし、あるいは屁理屈の揚げ足取りなのかもしれませんが、百歩譲ってそのような概念が成り立つとしても、それは「安全地帯」からの机上の議論であり、あまりにも乱暴な言葉の結び付け方だと思うのです。
災害で家族を亡くした人がこのような言葉を使うでしょうか。
屁理屈を重ねますが、「戦争文化」という言葉があったとしたらどう思いますか。私にはそれと同じように感じるのですが。
15年経った今、このような言葉がじわじわ出てきているように感じるのは、それだけ震災の生々しさが薄れてきたことと無関係ではないようにも思います。
きょうは3月11日、あの日から起きたことを思えば思うほど、私にはこの「災害文化」という言葉の違和感が引っ掛かります。
いずれにせよ、不快で気持ちの悪い言葉です。
このテーマは私が最後でした。
新たなテーマは、飯田アナウンサーからスタートです。