アナ・ログ ~アナウンサーリレーエッセイ~

東日本大震災12年

寺田 早輪子
2023/03/07
震災の1年後の3月に生まれた息子は、今年11歳になります。
いわゆる「震災を知らない世代」です。

先日、息子と一緒に石巻市震災遺構・大川小学校を訪問。私がこれまで取材でお世話になった方々と、息子が直接お話させていただく機会がありました。普段はペラペラとおしゃべりな息子ですが、この日は静かに大川小の校舎やまわりの景色をじっと見つめる様子が印象的でした。特にじっくりと見つめていたのが1階の「アッセンブリホール(多目的室ホール)」の壁。津波やがれきで多くの壁や床が破壊された校舎の中で、アッセンブリホールの空色の壁紙の一部は鮮明に残っています。綺麗な空色と雲を描いた白の模様に、その空間で自分と同じくらいの子供たちが生き生きと笑いあう様子が浮かんだのかもしれません。
息子は自らぐんぐん歩みを進め、「ここは何の教室だったの?」「どこに体育館があったの?」「この広場では何をして遊んでいたの?」と矢継ぎ早に質問してきました。ここには確かに自分が通う小学校と同じ、子供たちの日常があったことを確認しようとしている…、そう感じました。
今は震災遺構と呼ばれているけれども、友達と勉強し、笑いあい、遊び、元気に走り回る「命」がここに確かにあったということを。

命の重みを知ることは防災の第一歩です。
「震災を知らない世代にどう震災の教訓を伝えていくか?」、報道機関に身を置く一人として日々、頭を悩ませていますが、とにかく「伝え続ける」ことが大事で、
「東日本大震災という甚大な災害から、子供は自ら学びとる力がある」と実感した一日となりました。
震災発生から12年。「風化」という言葉が聞かれるようになって久しいですが、伝えるべきことはまだまだたくさんあると確信しています。

アナ・ログ。続いては、金澤聡アナウンサーです。

チョコレート

寺田 早輪子
2023/02/22
今でもふと食べたくなる、子供の頃に好きだったお菓子…。
「ぬ~ぼ~」というチョコレート菓子をご存知ですか??
「ぬ~ぼ~」は私が小学生の頃に発売され、当時は珍しかったエアインチョコを、最中の生地で挟んだ軽い口当たりのお菓子でした。
他のチョコ菓子にはない軽さと口に入れた瞬間のシュワっととろける感じが当時はとても新鮮で、そろばん塾の帰りによく買っておやつに食べていたなあ…。
白いパッケージにプリントされた黄色くて丸いキャラクターは、今でも描けます!
令和の今でも人気を集めそうな、そんなとてもゆる~~~い見た目。丸くてフワッとしていて、まるでビーズクッションのよう。想像するだけで、癒される。
「ぬ~ぼ~」にもう一度、会いたい!食べたい!

☆写真は、先日取材させていただいた「石巻こけし」。とっても小さくてかわいらしい!
最近はこのこけしちゃんに癒されています。

アナ・ログ。続いては、伊藤瞳アナウンサーです。

テレビあれこれ

寺田 早輪子
2023/01/23
「チャンネル回して、いい?」
今でも不意に使ってしまうこの言葉。
私と同世代、または私より先輩の皆様ならばご理解いただけるかと思いますが…。
子供の頃、私のうちにあったブラウン管のテレビは、まさにこの「チャンネルを回すタイプ」でした。
テレビ画面の右横にチャンネル選択のためのダイヤルが付いていて、それをガチャガチャと回しながら、見たいテレビ局のチャンネルに合わせていました。
ですから、テレビに一番近い位置に座っている家族に、「チャンネル、回して~」と言っていた頃の名残ですね、今でもこの言葉を使ってしまうのは。
今で言う「リモコン、取って~」と大体同じ意味です。
当時は、ダイヤルを回してチャンネルを変えるたびに「砂嵐」が画面に映し出され、しっかりチャンネルを合わせないと、画面が乱れてしまうこともしばしば。
そんな面倒臭さも、今となっては懐かしい。
あ、また昭和トークをしてしまいました…。
昭和レトロ好きの皆様は、どうぞ心の中で、「イイネ!」にチャンネルを回してください。

☆写真は、現在取材中の「石巻こけし」。
ユニークなデザインと微笑みに癒されています!

アナ・ログ。続いては、佐藤拓雄アナウンサーです。

2023年にやりたいこと

寺田 早輪子
2023/01/16
私はさそり座の、金星人で、金のインディアンです。
…占い好きの方なら、何を言っているのか分かってくださるかと思います…。
私は占い関連の話題が大好き。年末年始に書店に立ち寄ると、色々な種類の占い本が並んでいて、楽しくなっちゃいます。
先日、ふと手に取った占い本によりますと、2023年、私の運勢は「遊べば遊ぶほど、運気が上がる」そうです!しかも「12年に一度だけ巡ってくる、人生で最も楽しく遊べる年!」だそう!
何とも胸躍る情報です。何をしようか…、気持ちだけがそわそわしてしまいます。
その占い本を読み進めると「遊びの中から学びも、出会いも得られる」とのこと。
仕事で良いパフォーマンスをするためにも、真剣に遊ぶ!そんな一年にしたいです!

アナ・ログ、続いては佐藤拓雄アナウンサーです。

2022年を振り返って

寺田 早輪子
2022/12/21
私には、毎年、実りの秋に、美味しい梨とその大らかな笑顔に出会うのを心から楽しみにしていた人がいました。

その方は宮城県利府町の梨農家・引地俊彦さん。今年の春、68歳で亡くなりました。

地元紙などでは「梨作りの名人」とも称され、テレビ各局の取材も積極的に受けてくださっていた利府町の有名人。
様々な品種の梨を手掛けていましたが、中でも「あきづき」という品種は、本当にみずみずしく、甘くて、私は大ファンです。

引地さんに初めてお会いしたのは、15年前、台風9号の被害取材の現場でした。
暴風で収穫間近の梨が落ちてしまった利府町内を取材しようと、梨園に突然訪れた私たち取材班を快く受け入れてくださったのです。大変な状況の中、丁寧に被害状況を説明してくださいました。この時、別れ際に「被害が出た時だけじゃなくて、今度は美味しい梨の収穫も取材しに来てよ」と、笑顔で話してくださいました。心に深く刺さったこの言葉は、一生忘れられません。取材させていただく方の、ただ一時だけの表情を切り取るのではなく、喜びも、悲しみも、色々な表情を見つめて、初めてその人を描くことができるのだと、教えていただいたと思っています。

以来、「今年は美味しい梨ができたから、取材に来てー」、「今日は、病害虫駆除するから、取材に来てー」、「珍しいヒマワリが咲いたから取材に来てー」…と、数えきれないほど連絡をいただき、笑顔の取材も多くさせていただきました。そして、いつも「いらっしゃい!」と大らかな笑顔で迎えてくださいました。

私が育児休暇を終えて職場復帰すると「お子さん連れて遊びに来てー」とお声がけいただき、家族ぐるみのお付き合いもさせていただきました。幼かった息子が初めて梨の収穫を体験したのも引地さんの梨園でした。梨に手が届かない息子を、抱っこして持ち上げてくださいましたね。たくさんたくさん笑い合いましたね。
まるで実家に帰った時のような、故郷のように温かい存在でした。

「病気になった」と連絡をいただいてからも、「また秋に梨を食べに来て」と声をかけてくださいました。

今年の秋。跡を継いだ息子さんと奥様から、例年同様に美味しい梨が届きました。引地さんが大事に守ってこられた梨は、これからも多くの人を笑顔にすると確信しています。
本当にお世話になりました。
大好きな音楽とコーヒーを楽しみながら、どうかゆっくりとお休みください。

☆写真は、今年の秋に引地さんご家族から頂いた梨。引地さんの思い出と一緒に美味しくいただきました。

アナ・ログ、続いては、下山アナウンサーです。

音楽あれこれ

寺田 早輪子
2022/12/08
先日、非常に懐かしいものを街中で見かけました。
『ルーズソックス』。
私が、高校時代に毎日履いていたあの「ルーズソックス」を、令和の仙台の街中で、若い子が履いているではありませんか !! 巷では、今年、1990年代に流行したアイテムの人気が再燃しているそうで、どうやらルーズソックスもその一つのようです。

そのルーズソックス。私の地元である福島・いわき市では、私が高校1年生の秋ごろにおしゃれに敏感な同級生が履き始め、じわじわと人気が広がっていったと記憶しています。当時はゴムが少なめの、ルーズソックスの中でもさらにルーズな商品が人気でしたが、先日見かけたお嬢さんも、まさにそのくらいルーズなルーズソックスを履いていて、「ああ。懐かしい。」と、小声でつぶやいてしまいました。

そのルーズソックスを見かけてよみがえったのが、当時、よく私がカラオケで歌っていた曲、ドリカムの「決戦は金曜日」。同級生と、当時、街中でちらほら見かけるようになったカラオケボックスで歌っていた私の十八番。(当時は1曲ごとに100円玉を入れて歌っていました♪)
金曜日の放課後に、意味もよく分からず、この歌を歌っていたのを思い出します。

今、再び流行っているからと言って、さすがにルーズソックスを履いて出勤したりしませんが、「決戦は金曜日」はお風呂に入りながら大きい声で歌いたいと思います。

☆写真は、むすび丸と私。取材帰りに立ち寄った三陸自動車道 春日PA上り線にて。なぜか、私もむすび丸も「キメ顔」です。

アナ・ログ、続いては、梅島アナウンサーです♪

お風呂のこだわり

寺田 早輪子
2022/11/21
新米ママだった頃、息子の乾燥肌対策に、あれやこれやと奔走しました。
空気が乾燥する冬はもちろん、汗ばむ夏も、肘や膝の裏、首、お腹、背中を「かゆーい!」といいながら、ぼりぼりと掻いていた息子。

当時、皮膚科にかかって医師に指摘されたのが…「お風呂で強く洗い過ぎ!」。
勧められたのは「固形石鹸」で「手でなでるように洗う」ということでした。

昭和50年代、私の子供の頃はそれこそボディーソープといったおしゃれなものはなく、体を洗うには「固形石鹸」一択でしたが、中学生、高校生と成長するのに伴って、おしゃれで、良い香りのボディーソープがたくさん市販されるように…。
出産するまで私は手軽なボディーソープ派で、保育園に入る頃には息子も一緒にボディーソープを使っていましたが、強くこすったりすると、皮膚に必要な皮脂まで洗い流してしまうこともあるそう。

診察後、体を洗う際は、固形石鹸を生クリームのように泡立てて、優しくなでるようにしてみたところ、息子は薬を使わずとも痒がらなくなりました。
私の泡立ての技量も向上。今は一回に、バレーボール大の硬めの泡を作れるように!
うちのお風呂のこだわり、「固形石鹸」は欠かせないアイテムです。

☆仙台放送のAスタジオにて。
この日はAスタでオンラインセミナーの司会を務めました。

アナ・ログ、続いては、伊藤瞳アナウンサーです♪

こっそり教えます

寺田 早輪子
2022/11/11
ここだけの話…。
小学生の時、夏休みの宿題で提出した「藁葺き屋根の家」をモチーフにした絵。
これが確か、何かの大きなコンクールで、かなり上位の賞を頂いたのですが、
その絵…、実はほとんど父に手伝ってもらった作品でした!
申し訳ございません!!
「明日の始業式に提出しなければならない!」というのに、絵の宿題を忘れていた私。
夜。眠くなり、半分も仕上がっていないのに寝てしまったのですが、
父が徹夜で絵を仕上げていたのです!
あまりの本格的な出来に「さすがに先生にバレる!」と思ったのですが、とんとん拍子に校内、地区、市部の選考を勝ち抜き、さらに上のコンクールに出品された…と記憶しています。

20年以上前に亡くなった父は画家になることを夢見ていました。
町のクリニックの職員として働いていた父ですが、休みの日に絵筆を握り、風景画を描いていました。家には油絵具などの画材がたくさんあり、私もそれらを使って、父の傍らで絵を描く時間が大好きでした。
父が描いていたのは、いわき市でも山間の地区にある夏井川渓谷。
荒々しい岩や断崖、清流、生い茂る夏の緑を、鉱物を使って表現するのです。
キャンバスに鉱物を直接、貼り付けて、その上から油絵具を塗り、自然を立体的に表現。
一風変わった父の鉱物画は、娘の私にとっては、特別で、自慢の作品ばかりでした。
しかし、控えめな父はコンクールなどに出品することはなかったのか、描いた絵のほとんどは自宅の部屋の中に。玄関に一枚、額に入れた作品を飾っていましたが、たくさんの人の目に触れることはありませんでした。

そんな父。実はこっそり、画家としての「名刺」を一枚だけ作っていたことを、亡くなった後に知りました。
私も大人になった今、「父はいつ夢を諦めたのか…、それとも、諦めずにずっと夢を抱き続けていたのか…。どんな思いで、毎日、職場に向かっていたのか…。」
そんなことを考えると切なくなります。
それでも、休みの日に夢中になって、絵を描いていた父の楽しそうな顔を私は一生忘れないと思います。

私の絵がコンクールで入選したのを、一番、喜んでいたのは父です…。
夏休みの絵は、父と私の最後の合作?となりました。
当時、拍手をくださった皆様、どうかお許しください!

☆写真は、宮城県美術館で開催の『フェルメールと17世紀オランダ絵画展』(~2022年11月27日)に出かけてきました!父譲りで、絵画鑑賞も大好き!

アナ・ログ、続いては伊藤瞳アナウンサーです。

秋を感じます

寺田 早輪子
2022/10/25
秋になったら絶対にしたいこと!が、私には3つあります。
「シャインマスカット狩り」と、
「評判のモンブラン 食べ比べ」、
そして、「『マロン』と名の付くスイーツを食べ尽くす」。
この3つは毎年、秋になると家族に「これは何があっても達成させるから!」と高らかに宣言しています(毎回、キョトンとされますが…)。
食べることばっかりでお恥ずかしいですが、夏の蒸し暑さもなくなり、冬のように着込まなくても気軽に出かけられる秋。秋の味覚を求めて散歩するのも楽しいですよね。
秋の散歩の楽しみは何といってもキンモクセイの香り。青葉区上杉の仙台放送周辺にも、あちらこちらからキンモクセイの濃い香りが漂ってきます。
深呼吸しながらたくさん歩き、カロリーを消費して、今日も秋の味覚を心ゆくまで、頂きます!!
☆仙台放送近くのキンモクセイ。マスクをしていても香ってきます!

アナ・ログ、続いては、千坂アナウンサーです♪

お酒のはなし

寺田 早輪子
2022/09/27
この話題を私に振るなんて…(^^)
何時間でも話し続けますけれど、いいですか??
…というくらい、私はお酒が好きです。

中でも日本酒が大好き。
10年前、自分の披露宴の乾杯のお酒にも、宮城県内の酒蔵が造るスパークリングの日本酒をチョイスしたほど。全国各地から出席してくださった方々が「宮城のお酒」を美味しいと喜んでくださり、本当に誇らしかったです。

そんな私も、20代の頃に比べると、それほど量は飲めなくなり(悲しい…)、
すぐに酔ってしまうようになりました(悔しい…!)。

そんな私ですが、家族でイケる口なのは実は私だけ…。
夫は飲まずに過ごせるタイプで、母は全く飲めず…。
父もお酒を飲んでいる姿はあまり記憶にありません。
コロナ禍で、飲み会もほぼ皆無。
最近は家で一人、手酌でたしなんでいます。

いかにも寂しそうな光景が浮かぶかと思いますが…、
息子の表情やおしゃべりを聞きながら飲むお酒も、また良いものです。
クイズ好きの息子は酔っている私に、容赦なく、結構難しい問題を出してくるのですが、
全く答えられず…。
「ちゃんと真面目に!」と息子にイライラされながら、私はニコニコ。そんなやりとりもまた楽しい今日この頃です。

アナ・ログ、続いては、堤アナウンサーです。