アナ・ログ ~アナウンサーリレーエッセイ~

シーズンということで…「学園祭の記憶」

2014/10/10
以前にも紹介したかもしれませんが、鍛金作家の嵯峨卓さん、作品展を覗いてきました。
新作の「琉金」金魚ですね、その琉金が展示されていましたが、やはり嵯峨さんといえば、ペンギンですね。ペンギンの親子の新作です。(写真)

いいですね!
欲しいですね!
高いですね! 

さて、学園祭ですね。

高校時代のクラスの出し物は、「万博」でした。
年がバレてしまいますが、いつの万博?
決まっているではありませんか!
三波春夫さんが歌っている!アーカイブで歌っているですね、
♪1970年のこんにちは~ですよ。
昭和でいいますと、1970年は昭和45年ですね。
学園祭の出し物は、その2年ほど前のプレゼンでしたが、中身はすっかり忘れました。
我々の盛り上げで、大阪万博は盛会裏に終わりました。(笑)
それで十分です。

大学時代の学園祭は、常に学園紛争と向かい合いながらの、いい時代ではありませんでしたね。
酒を飲み、議論をし、また酒を飲み、また議論をし、
私の場合は、飲んだふりをし・・・・・
ですが、今となれば、青春の思い出で片づけてしまいます。

次回のアナログは、14日になります。
木下アナウンサーです。

シーズンということで…「学園祭の記憶」

2014/10/08
早稲田大学の学園祭は非常に賑やかで、なかなか歩くのも大変でした。
ひと、ひと、ひとでごった返しています。
柔道着姿の巨漢がいたり、野球のユニフォームを着た女の子がワイワイはしゃいでいたり、、浅草の大道芸人ばりのジャグリングを披露する人がいたり、学ラン姿の応援部が威風堂々と歩けば、これぞ早稲田のバンカラ学生も存在感を示し、そうかと思えば水着姿の人やここでは書けないようないでたちで行進する。
最後に挙げたような人達は、常人が発想しない行動をとることをモットーとしている節があり、そういった所が認められてか、今や立派な企業に勤めていたりします。
まさしく人材の宝庫。

今となればそんな風変りな集団は少ないので、懐かしい気持ちに駆られてもう一度足を運びたくなるような学園祭でした。
東大や慶応の学園祭もそんな雰囲気。学生はどこも同じような感じでしたね。


私も大隈講堂前のステージで500人を前に色んな事をするイベントに出たことがあります。
頭で瓦を割ったり、めちゃくちゃ激辛なカレーを早食いをしたり。
このくらいだったら今でもできますが、その他にもここでは詳しく書けないような学生のノリを展開していました。

普段の学生生活で培った学術的成果や、鍛錬を重ねた末に織りなす肉体的躍動を示すことなど一切せず、行き当たりばったりの突発芸ばかりを披露していました。
学生時代の思い出を挙げるとなれば、やはり大学の雰囲気を象徴する学園祭の一駒が最初に思い浮かんでくるものですね。

次は柳沢さんです。

シーズンということで…「学園祭の記憶」

2014/10/07
写真は、お題と何の関係もありません。
娘の買ってきた靴下が面白かったので。

本題に入ります。学園祭の記憶。

その1 高校時代
1年生の時、部活の先輩に無理矢理巻き込まれて、文化祭実行委員会の小委員会みたいなのをやることになってしまいました。
仕事は、学校の門に取り付ける、文化祭用の入場門を作ること。
しかも、委員は私を巻き込んだ先輩と私、そしてもう一人同じ部活の同級生女子という、たったの3人。
夏休み、部活が終わると、その3人で自動的に入場門作りへ、という毎日でした。
先輩の考えたデザインに沿って、ベニヤ板や角材を切ってくぎ打ち、ペンキ塗り、という作業をしつつ、足りなくなった資材を買い出しに行ったり、さらに私は、その会計もやらされていて、人数が圧倒的に足りない中で、文化祭が近づいてきて、もしかすると間に合わないんじゃないか?というプレッシャーと忙しさがありました。
しかし、同じ部活とはいえ、特に仲が良かったわけでもない3人で(苦笑)、1ヶ月以上、黙々と作業をしていて、それほど楽しかった記憶もなければ、連帯感が強まったわけでもなく、まして恋が生まれるわけもなく、達成感もそれほどなく、写真をはじめ当時の様子の記録も何もなく、今回このテーマで色々考えていて思い出したというくらいで。
今振り返っても、不思議な思い出です。

その2 大学時代
これは単なる小咄です。
当時所属していたサークルで1年生主体で「やきとり」を出すことになって、先輩達から前年のことをいろいろ聞いていると、ある先輩が、
「いやー、焼き鳥のたれをさあ、『にいがたけん』まで買いに行って車で運んできたんだよねえ」
と言います。
新潟県?!
なんでそんなところまで?たかだか学園祭のサークルの出店で、それほどのこだわりがあるのか?
仙台にお住まいで、勘のいい方は、もうお分かりでしょうか。
「苦竹」の聞き間違いでした。「にがたけ」です。
当時、仙台生活一年目。今では当たり前の地名も、こうやって少しずつ覚えていったということですね。

明日は、広瀬アナウンサーです。

シーズンということで…「学園祭の記憶」

2014/10/03
青春時代は、中高一貫の女子校で過ごしました。学園祭は毎年楽しみにしていた行事の一つ!
一番記憶に残っているのは、中学2年生の時にクラスの皆で『シンデレラ』のミュージカルをやったことです。

私は、ご想像の通り…シンデレラ役!ふふ♪
おいしい役をやらせてもらいました。笑

と言っても、4回の公演をする上で、なるべくクラスの皆が参加できるようにと毎回キャストが変わる仕組みにし、シンデレラ役も4人いたわけであります。

そして、ふつうのシンデレラのストーリーでは面白くない!と私たちが作ったのは“王子様”と“シンデレラ”の立場を逆転させたストーリー!!
簡単に説明すると、とある青年が、2人の血のつながらない兄にいじめられながら貧しい生活を送っている…
そこへ魔法使いが現れて魔法をかけてもらい、王子様の姿に。
舞踏会へ行くと、お姫様(シンデレラ)に出会う…という流れ。

言ってみれば、主役は王子様です。
シンデレラ役は、ドレスを着て、舞踏会の場面で登場~というだけの本当に、おいしい役でした。笑

舞踏会の場で、当時とっても流行っていた、慎吾ママの『おはロック』を皆で踊り…笑
(何とも中学生らしい選曲!笑)

最後は、王子様とシンデレラが結ばれるというハッピーエンドに。

写真は、そんな青春時代、いえもっと前の小学校5年生のころから仲良しで同じ学校に進学した、可知真理子ちゃん!
今年夏の終わりに、再会できました♪♪♪
今は、ミュージカルに出たり、コンサートや舞台で歌を歌ったり、活躍中!
学生のころは、将来自分たちが今の道に進むなんて想像もしていませんでした!笑

仙台から、応援してるねっ♪夢に向かって頑張ってね!

明日は、すっかりスリムになった稲垣アナです!

シーズンということで…「学園祭の記憶」

2014/10/02
私の記憶に残るのは、やはり中学・高校の学園祭。
中高一貫の私の学校では、学園祭のグランドフィナーレの時にフォークダンスを踊るというしきたりがありました。

中学1年生は、入学すると先輩から代々伝わるフォークダンスを伝授され、ひたすら練習を重ねます。

仙台の企業が行う、すずめおどりのレッスンと同じイメージでしょうか。

私たちが踊るのは、マイムマイム。
それから、マドンナさんの「マテリアルガール」。
郷ひろみさんの「いつも心に太陽を」。
そして、中島みゆきさんの「時代」。

この4曲を、毎年毎年踊るのです。そうすると、祭りがようやく終わるのです。

客観的にみると、とても不思議な光景でしたが、やっている本人たちは、とても楽しく充実した瞬間で…。
あれが、青春というやつなんですかね(笑)

それにしても、郷ひろみさんの歌詞は1200人近くの女子学生が、笑いながら歌い踊るような内容ではないような気がしていたのは私だけでしょうか。

まぁ、今となっては、いい思い出です。

写真は、高校の卒業時にもらった校章入りの印鑑ケース。あれから10年以上…。
朱肉は、もうボロボロです。

明日は、飯田アナです。

シーズンということで…「学園祭の記憶」

2014/09/30
大学生の1、2年時、世はバブルでした。
当時東京では、アルバイト代時給1500円というところもざらにありました。3年で好景気が崩壊したとはいえ、世間は浮かれっぱなしの状況でした。
大学4年になると、バブル時は電話帳ほどの厚みがあったアルバイト求人雑誌もさすがにページ数が大幅削減され、時給1500円以上なんていうアルバイト先もなくなりました。高額な時給アルバイトは胡散臭いビジネスにしかなくなりました。

バブルの時代に大学の青春時代は過ごしましたが、バブルの恩恵を受けて浮かれた生活など全くできませんでした。
『バブル期に苦学生』
生活費と学費を稼ぐために、大学が休みのときはアルバイトをしていました。学園祭の日も例外ではなく、アルバイトをしていました。
少々遠回りになりましたが、大学時代の学園祭の記憶と言えば、アルバイトを一生懸命していたという記憶しかありません。
引越し屋さんのアルバイトをしていたとき、学園祭の日に、ちょうど大学の近くで荷物運びをしていて、校内で開かれていた学生プロレスの実況、解説の声がかすかに耳に届いてきたということもありましたが、額に汗して働いていました。
誤解しないでほしいのですが、決して悲観した学生生活ではなく、仕事と学業を両立しているような清々しさと自立心に満ちていました(笑)
学園祭に一度くらい参加してもよかったかなぁ、と少しは後悔の念もありますが…。やるなら、ガンダム祭かなぁ。

次は、高谷アナウンサーです。

シーズンということで…「学園祭の記憶」

2014/09/29
あんなに「ハヤシライス」を作ったことは、後にも先にもありません。

大学生の頃の学園祭。
ひたすら「ハヤシライス」を作っていました。

私が所属していたバスケットボールのサークルでは、学園祭で、代々、ハヤシライスを販売することになっていました。
バスケットボールで、なぜハヤシライスなのかは謎ですが…。

香りを出すには、タマネギをどれだけ炒めたらいいか。
コクをだすにはお肉をどのくらい入れるか?
かなり研究したのを覚えています。

学園祭前日には、夜中までタマネギの皮をむき、刻み、炒めまくりました!

中学ではテニス部だったので、チームプレーのスポーツはバスケサークルが初めてでした。
このハヤシライス作りも、まさにチームプレー。

祭り当日は、ハヤシライスは完売!
みんなで一つのことを成し遂げた素敵な思い出です!

写真は…栗駒山中腹の栗原市耕英地区で発見!鯉のぼりならぬ「イワナのぼり」!!

アナ・ログ、続いては、金澤アナウンサーです!

シーズンということで…「学園祭の記憶」

2014/09/26
夏も終わり、そろそろ学園祭シーズンですね!
きょうからの新テーマは「学園祭の記憶」です。

学園祭って、どのサークル、部活、団体に所属しているかによって、忙しさが人それぞれ違うのではないでしょうか。
高校時代、私はダンス部に所属していたので高校の文化祭ではダンスイベント、大学の学園祭では、放送研究会のイベントがあったので、学園祭前は忙しい日々を送っていました。

高校のダンス部時代は、11月に創作ダンスの全国大会を控えていたので、創作ダンスの踊りを自分たちで作り練習、さらに文化祭のダンス部イベントで踊るジャズダンスやヒップホップなど現代ダンスも自分たちで振りを作っていたので、練習しなくてはいけない内容が盛りだくさんでした。
夏休み中休みはほとんどなく、ほぼ毎日練習、もわっと暑い練習場で、ひたすら踊り続ける…
思い返すだけで暑くなります(笑)
でも、夏休み中ダンス部という華やかなイメージとはかけ離れた(笑)過酷な練習を頑張った甲斐があって、1年生のときは、創作ダンスの全国大会で準優勝3位に選ばれたんです☆大会までの辛かった練習のことはすべて吹き飛びましたね!

さて、明日、明後日は「仙台放送まつり」です!
高谷ちゃん、るねちゃん、私の3人で16時10分からのアイドルステージに出ます☆
3人で、歌に踊りと必死になって練習していますよ!
踊りの練習をしていて、学園祭の頃を思い出しました☆
本番までたくさん練習してベストをお見せできるよう頑張ります☆

次は、寺田アナウンサーです☆