アナ・ログ ~アナウンサーリレーエッセイ~

ふるさと

2008/08/11
私は東京下町の「門前仲町(もんぜんなかちょう)」出身です。『深川の門前仲町』と言えばよく時代劇や落語の舞台となります。例えば「竜馬がゆく」でも出てきますし、30年前の有名ドラマ「前略おふくろ様」や去年の「陽炎の辻」などの舞台も深川です。現代ではあまり有名な地名ではないですが、時代劇が好きな方などには活気と人情味溢れる下町の代表として以前から親しまれています。
また、江戸三大祭の一つ「深川八幡祭り」が行われるため、落語とお祭り好きの浅見さんも門前仲町という地名に思い入れがあるみたいです♪

深川八幡祭り・神田祭・山王祭の江戸三大祭は「神輿深川、山車神田、だだっ広いが山王様」と言われるだけあり、深川八幡祭りには大小あわせて神輿120基が担がれます。このうち54基の大神輿が“日本一大きなお神輿”が奉られている富岡八幡宮に集結した後「ワッショイ、ワッショイ」の掛け声とともに約10キロの道を一列に練り歩きます。
沿道には住民や商店の人が大勢出てきて、用意したバケツやホースでお神輿に水を掛けまくります。別名、水掛祭り!法被姿でお婆ちゃんと一緒にじょうろを持って歩くよちよち赤ちゃん。両手のポリバケツをグルグル回す豪快おばちゃん。いたるところで下町小劇場が繰り広げられます。
さらには荷台に水を満載したトラックからの水掛けに、すごいのは本物の消火ホースによる豪快な水掛けです。道のあちこちで消火ホースから昇り龍のような猛烈な勢いで水が立ち上って通りの向こう側が見えなくなるほどです。
3年に一度しか開催されないこのお祭りの参加人数は実に2万人。さらに見物客50万人以上が訪れるこの日ばかりは普段会社で真面目に働いているふりをしているサラリーマン達もちゃきちゃきの江戸っ子に戻り熱気ムンムン、江戸の活気が甦ります。
浅見さんも富岡八幡宮を訪れた際、7カラットのダイヤや2千個のルビーを着飾った、高さ約4m40cmの“日本一大きなお神輿”に感動したそうです。入社前の研修初日の休憩時間は、「あんな大きなお神輿は見たことがない」と、このお神輿の話しかしなかったような……。

そんな深川八幡祭り、今年は開催年で8月15日と16日に開催されます。七夕祭りの次に、よかったら足を運んでみて下さい。

ということで、みなさんのふるさと話でした。
次のテーマは出射さんからです。

ふるさと

2008/08/10
皆さん七夕まつりを見に出かけましたか?
画像の本のイラストは今年の仙台七夕まつりのポスターです。
このイラストは仙台出身の本郷さんがデザインしたものです。

さて私のふるさとは東京にあります。
でも宮城にも第二の故郷があります。加美町の中新田。父方の祖父の実家で親戚が住んでおります。
幼少の頃から、夏休みなどにはよく家族で遊びに行きました。お庭に大きな池があり鯉が数匹いて、ビルや住宅がひしめく東京から来た私はそれだけで「わ~すごい。別世界!」と思ったものでした。

でも所詮は親戚のお宅、と皆さん思うでしょう。しかし、私の就職先が決まり仙台に住むと決まった時に私の叔母が長文のお手紙を下さったのです。
1人暮らしも初めて、社会人として働くのも初めて、きっとこれから体験する初めてづくしの事に追われて大変だろうと気遣って下さったお手紙でした。
引越しを終えて誰もいないマンションの一室でその手紙を読みボロボロ涙を流していました。寝る前にもう1度読んでまたボロボロ涙がこぼれてきました。
現在たまにしか中新田に会いに行くことはできないのですが、手紙を下さったおかげで心のよりどころ=故郷になっているのでした。
この場を借りまして、いつもありがとうございます!!

皆さんはどんな「心の故郷」があるでしょうか?
さてお次…このテーマのラストを締めくくる広瀬君です。広瀬君はいつもこのアナログの画像にこだわっていますねぇ。

ふるさと

2008/08/07
岩手・宮城内陸地震。6月14日の発生から、もう間もなく2カ月が経とうとしています。
被災された栗駒耕英地区の方は、「避難所では長く感じた時間も、『もうすぐ、2カ月』と言われると、あっという間だった気もする。」と話していました。
あの日。栗原のみなさんの「ふるさと」、栗駒山は大きな被害を受けました。高い木々までも巻き込んだ土砂崩れ…、分厚いコンクリートまで引きちぎられた地割れ…。「ふるさと」の景色が一変してしまったみなさんのお気持ちは察するに余りあります。

深く傷ついた栗駒山ですが、地震前と変わらず、山の恵みを生み出しているのを、取材で見つけました。
栗原市花山の道の駅『自然薯の館(じねんじょのやかた)』では、栗原市内で被災した生産者が、毎日、野菜を畑から収穫し、店先に並べています。トマト!大根!葉わさび!ジャガイモ!キャベツ!…、どれも市価より安い値段です。
しかし、花山温泉郷では、旅館の建物が大きな被害を受け、休業を余儀なくされています。道の駅を訪れる客も激減。売り上げは、前の年の30%に…。
ただ、道の駅のある地区には、避難指示も、勧告も出ていません。被災した生産者は、野菜が売れないと、つまり、収入がないと、生活再建できません。
花山が立ち上がるきっかけの一つは、道の駅にあります。
新鮮な野菜を味わいに、そして、栗原の皆さんを勇気づけに、花山の道の駅に、是非、お越しください!

★写真(上)花山で、ジャガイモやトウモロコシなどを生産している千葉益雄さん(70)。
仙台で開催された「栗原元気物産市」の様子を取材させていただきました。春ではなく、夏の今が旬の「唐竹」の煮物をご馳走になりました!ホッとする味で美味しかったです!
★写真(下)イワナの串焼きを持って、私と一緒に写っているのは、道の駅「自然薯の館」の三浦店長。このイワナを養殖している野口さんは、仮設住宅からイケスに通っていらっしゃいます。臭みがなく、香ばしい山の味、美味しかったです!
★今月9、10日 JR仙台駅2階コンコースで「栗原元気物産市」開催!是非、お出かけください!!

続いては、東京都代表・早坂アナです。「心のふるさと」について。どうぞ( ̄▽ ̄ )

ふるさと

2008/08/06
突然ですが、何をやってもうまくいかない日ってありませんか?
自分が良かれと思ってやったことが裏目になったり、何度も確認したはずなのに間違っていたりとか、負のスパイラルに陥り気付けば溜め息をついているような落胆の一日…。

忘れもしません、ふるさと新潟から上京して2年目の夏。大学の夏休み中、喫茶店でアルバイトをしていた頃。
6畳1Kのアパートで一人暮らし、連日の熱帯夜で寝不足ぎみの日々が続いていました。
目覚めると、時刻は午前7時30分。午前8時開店の喫茶店、ドアトゥドアで30分の通勤時間。この日のシフトは早番です。そうです、間違いなく遅刻です。アルバイト先で『時間を守る男』の評判が上がった矢先の失態です。
慌てて店に到着。午前8時15分。遅刻した汗だくの私を見て、店長が首を傾げます。シフト表を見ると私の勤務は“遅番”でした。何度も確認したはずなのに6時間近くも前に出勤です。しかし、店長の粋なはからいでこの日のシフトを“早番”に変えてもらいました。
店長への恩返しのため働こうと決意しましたが、朝食を摂っていない私の脳はうまく目覚めませんでした。
オーダーミスを繰り返し、レジもうまく打てずお釣りを間違え、早番に変えてもらったのにタイムカードを打ち忘れ2時間タダ働きと散々でした。
 一人落ち込む休憩室、そこに無造作に開いてあった週刊誌、室生犀星のあの詩句が書いてありました。

 『ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの』

これほど心の琴線に触れる詩句があるのかと思った瞬間はありませんでした。
あのときほどふるさとを恋しく思った瞬間はありませんでした。
しかし、その夏はアルバイトに忙しく、帰省することなく文字通り遠くから思っていました。

次回はどんなふるさとの思いがあるのでしょうか、寺田アナウンサーです。

ふるさと

2008/08/05
これは同期女子メンバーで初ランチをしにいった1コマ★
忙しくて4人揃う事ってなかなかできなかったのですが、入社4年目にして初の大集合。思えばみんな岩手・福島・東京とふるさとを離れて仙台で仕事をしている仲間!もっちり生パスタも美味しかったし(^▽^)/夏の旅行プランなどに一花咲かせた楽しい時間でした。

さて、私のふるさとは、東京のちょっと郊外の国分寺。ちょうど東京のおへそに当たる場所で、ここで幼稚園から大学生までを過ごしました。
東京といえども緑が沢山あって、名水100選に選ばれる湧き水があったりとお水の美味しいところ!湧き水周辺は「お鷹の道」という遊歩道になっていて、木々が鬱蒼と茂っていて、夏でも水が冷たかったな~。。。小さい時はよく駆け回って遊んでいたものです。
この「お鷹の道」の湧き水でいれる美味しいコーヒーのお店がある位で、早朝にわざわざ遠くから汲みにくる方もいらっしゃいました。

水にまつわるちょっとした伝説もありまして、平安時代に玉造の小町という絶世の美女が、病気で醜い顔になってしまったとき、この水で顔を洗ったら病気の痕もキレイに治りまた元の美女に戻ったとか。
まあ伝説ですが、それくらい水がきれいですよ~という事なんでしょうか。確か今でも市内の水道水の何割かは地下水で補っているはずです!

そんな所で育ったからか美味しいお水には敏感で、最近CMでも流れているドイツのポット式浄水器「ブリタ」にはまっています。
コーヒーやお茶は淹れるとまろやかで美味しいし、料理にも◎
洗顔のはじめと終わりに使ったりしております。人間80%は水で出来ているくらいですもんね、水は大事だなあと感じるこのごろ。

そうそう!JR中央線 国分寺駅前にはみたらし団子が美味しい「だんごの輪島」があります。経営者はボクシングの輪島功一さん!ここの団子はおやつの定番でした~
安くて素朴な美味しさです。国分寺にお寄りの際は是非ご賞味ください( ̄ー ̄)♪

何だか観光宣伝みたいですが、次の金澤アナは新潟県出身でしたね、どんなところなんでしょう!金ウンサー!

ふるさと

2008/08/04
先週、夏休みをとって家族で旅行に出かけました。訪れたのは、沖縄・八重山地方。かねて行ってみたいと思っていた、ドラマ「ちゅらさん」のふるさと・小浜島にも足を伸ばし、ドラマのロケ地を見ることができました。写真はそのひとつ「こはぐら荘」前での一枚。台風が過ぎ去った直後で空が青くないのが残念でしたが、ドラマニアとしては、ロケ地めぐりに大満足です。そして、小浜島、とってもとってもいい所でした。

さて、僕は神奈川生まれの東京育ちですが、「ふるさと」と言われてぱっとイメージするのは、神奈川でも東京でもなく、福島県郡山市の父の実家です。

子どもの頃は毎年夏、郡山に行くのが楽しみでした。
郡山の祖父母の家は、父がそこで生まれたという、まさしく生家。なので、古い。でも、団地暮らしの僕は、その家の縁側で、足をぶらぶらさせ、セミの鳴き声を聞きながら、農家から届けられた新鮮なとうもろこしやトマト、桃、すいかなどを食べていると、「こういうのを『ふるさと』って言うんだろうなあ」と子ども心に思ったものです。
郡山には、その当時ですら自分の家の近所にはなかった駄菓子屋もあり、「ふるさと」には何でもあるんだなあ、とうらやましく思えました。
唯一、「マジンガーZ」など好きなアニメの放送が1週から2週遅れていたのには、大変ショックを受けましたが。

その後、仙台に住むようになった僕にとっての「ふるさと」は、普通に考えれば、東京の実家、ということになりますが、どうも「ふるさと」という気がしない。しかも、7年前に両親が東京をひきはらい、仙台に引っ越してきたので、帰省先という意味での「ふるさと」も存在しません。

単なるイメージの問題なのでしょうが、そんなわけで、「ふるさと」という言葉を聞いたとき、真っ先に頭に浮かんでくるのは、夏の郡山の縁側なのです。

次の原アナウンサーも実家は東京ですが、どんな「ふるさと」話でしょうか?

ふるさと

2008/08/01
♪砂まじりの茅ヶ崎~♪ふるさとは神奈川県「茅ヶ崎市」です。★写真は冬の装いでごめんなさい。中央に小さく映っているのは江ノ島です。よく江の島までサイクリングしていました★

今でこそ“おしゃれな海のまち”と紹介されることが多い茅ヶ崎ですが、私が小さい時はそれこそ小さな田舎町でした。
暮らしていたのは仙台に来るまでの20年。昔、茅ヶ崎駅は階段は石段、切符は窓口で駅員から買い、駅員にハサミで切ってもらう。素朴な駅でした。

さらに「サザンの町」と言われることが多い茅ヶ崎、当時は「加山雄三」がヒーローでした。
私が通っていた「茅ヶ崎市立東海岸小学校」の校歌は加山雄三さん作詞・作曲、誇りにさえ?感じていました。
 ♪太陽昇る輝く海の♪で始まる歌詞、
海とおなじように広い心を持とうという何とも海の男らしい詩で構成されています。
さらにさらに実家の近くの、駅と海をつなぐ大通りは通称「加山雄三通り」でした。

といった具合に、すべてが「加山雄三」だった茅ヶ崎がいつの間にか「サザンオールスターズ」にシフト。
「サザン通り」なる通りも出来、町はチェーンジ!加山雄三よりもサザンか~。
しかしサザンはサザンで素晴らしい!世代を超えた人気がその実力を示しています。
母もサザンの大ファンです。というのも数年前、サザンが茅ヶ崎の野球場で大規模な野外コンサートを行った時、うちにも招待状が届き母がいきました。大興奮だったようでそれ以来ファンなのです。

今では1年に数回しか帰る機会がありませんが、その度に変わる街並み、しかし私の実家も含め昔ながらの街並みが残る場所もあります。
皆さん、機会がありましたら是非!茅ヶ崎探訪してみてください。

次は拓雄さん。拓雄さんの♪ふるさと~♪は?

ふるさと

2008/07/31
先日仙台市博物館のレストランでいただいた期間限定『ジャーマンプレート』です!
ジャーマンステーキ、ソーセージ、バームクーヘンなどがワンプレートに☆

今仙台市博物館で開かれている「江戸と明治の華―ベルツ博士の眼―」展にちなんだメニューです。
ビールが合いそうですよね!


先日、その展示会のオープニングセレモニーの司会の仕事に行ってまいりました。
その日は、今回の特別展に出品したドイツのビーティヒハイム・ビッシンゲン市立博物館の館長と学芸員の方も出席していて、終わった後一緒にこのランチをいただきました。

その時地元の歴史や文化のスペシャリストのお二人にいろいろと聞いてみたのですが・・・
なんと、バームクーヘンは滅多に食べないそうなんです!
「クリスマスとか特別な時だけ食べるのよ」とイレーコップ館長。
勝手なイメージですが、バームクーヘンはドイツ国民にはお馴染みのお菓子だと思っていただけにびっくりです。
聞いてみると、フルーツケーキはよく食べるとか、チーズケーキはもっぱらベイクドだとか、ケーキにはコクのある生クリームを添えることが多いとか、
ランチの間、ほとんど食べ物の話しかしなかったような気がしますが、
英語と日本語のまぜこぜトークでちゃんとコミュニケーションできたか自信はありませんが、食べ物の話はきっと世界中誰とでも盛り上がるんでしょうね(^^)

あ、もちろんお菓子の話以外にも育った場所の話や、生活、風習の話にもなりましたよ。
『ふるさと』というものを改めて思い出しました。


ちなみに、この特別展ですが、かなり興味深いですよ。
例えば、立派な漆塗りのお重でもかわいらしいタケノコがモチーフになっていたり、どっしりと存在感のある七宝焼きのお皿でも堅苦しいデザインではなく、お部屋に飾りたくなるようなかわいらしいデザインだったり、ただ「見事」と表現するのはもったいないような作品がたくさん展示されています(^^)

続いては佳緒里さん、お願いします!

ふるさと

2008/07/30
「ふるさと」と聞くと、直ぐに思い浮かべられる歌があります。
「ふるさとのはなしをしよう」北原謙二のヒット曲です。年代は昭和40年ですから、1965年です。
東京オリンピックの翌年ですね。
時代は、1970年の大阪万国博覧会に向かっていました。
キダ・タロー作曲、伊野上のぼる作詞。作詞と作曲のバランスというか?配合?というか、実に見事です。いい歌です。

かつお舟がはいる浜辺
夕焼けの海
ふるさとの花火
縁日
桃の畑・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
情景が浮かぶ歌というのは、詩が良いのでしょうね。良い詩は良い曲の条件です。
私のカラオケの締めに使う曲です。これは余計な話。

こういうふるさとを持っていないことが、こういう歌への憧れとして好きなのかもしれません。

でも、待ってください。子どもの頃はこんな歌詞が自分のふるさとにも当てはまりますね。

海苔の香り
伝馬船
かっぱ祭り
毎月7日、17日、27日の夜店
荒神様
紙芝居や
お酉様
氷屋

ごくごく身近なものでは、
町工場
旋盤の音
油の匂い
銭湯の雑音・・・・・・・・・・・・・・・・

情景が浮かべば、今でも生きているのがふるさとでしょう。
私のふるさと品川の一場面です。
「ふるさとのはなしをしよう」でした。

さて、あすは、出射アナウンサーのふるさとドイツ?の話です。


ふるさと

2008/07/29
先日、宮城をふるさとに持つ“お笑いBIG3”ことマギー審司さん サンドウィッチマンさん 狩野英孝さんと“恩返し”をテーマにロケをしてきました。
こちらは、東京にある宮城のふるさとプラザでの1コマです。みなさん“ふるさと”には熱ーい思いをお持ちで、とっても楽しい現場でしたよ。
ちなみにこの番組は、8月2日午後1時からお送りしますのでぜひ見てくださいね!

さて、そのふるさとといえば私の場合は地元の言葉を耳にする時に感じます。しぞーか出身の私、仙台に来てえーかん経ちますがやっぱ静岡弁は子供のときから使ってた言葉だもんで、たまーに使ってしまうのは、しょんないら?

静岡は、そんなに方言がきつくないと思っているのですが…念の為言い換えておくと「静岡出身の私、仙台に来てだいぶ経ちますがやっぱり静岡弁は子供のときから使っていた言葉なので、たまに使ってしまうのは、仕方がないですよね?」という感じです。

子供のときから、無意識に使っている言葉というものは自分にとっては標準語です。それが違うと知ったときは、やっぱりちょっとショックでしたね。

アナウンサーになって、改めて自分の出身地の方言を調べてみると意外なほどにその数があってびっくりしました。そして、何気なく日常使っていたことにも驚きました。

そして方言には季節によって使う言葉もありますよね。この時期、蚊のでるシーズンに未だに使ってしまうのが
蚊に食われる(刺される)
ばかかゆい(とても痒い)
足、かじっちゃった(足を引っ掻いてしまった)
というあたりですね。

東京で過ごした大学時代「背中かじって」と言って、相手に引かれたこともあります。そりゃ、歯でかじるという意味なら引きますよね。

この方は方言で困ったことはないと思われます。
次はお江戸のご出身浅見アナです。

ふるさと

2008/07/28
7月ももう終わり、夏休みですね!8月はお盆もあって帰省シーズン。両親と、祖父母と、故郷でゆったり休まれる方は多いはず。ってことで新テーマは『ふるさと』です。トップバッターは私、神奈川県出身、板垣です。先日ふるさとの牧場で牛乳を一気飲み・・・ではないです。先日取材で伺った大崎市鳴子の東北大学農学部フィールドセンターでの1枚です。

僕の場合、ふるさとは3つあります。1つは大学まで過ごした神奈川県。1つは両親の実家、関西。そしてもう1つが、韓国ソウルです。4歳から6歳まで、父の転勤で住んでいました。ハンガンマンション、ソウル市中心部から少し離れた静かな住宅街です。期間にしてはさほど長くないですが、向こうの学校にも通って物心つくまで育った場所です。今でこそ韓国と日本は、交流の深い関係ではありますが、20年前はそういうわけにはいきませんでした。日本語なんて通じません。父によれば、日本人の乗る乗用車にバスが衝突する事故があったそうなんですが、日本人が運転していたとわかるや否や、その日本人は責任を強く追及された、なんて話もあったそうな。幼いながら、友好的とは言えなかったと思います。そんな中で生活を築く両親は、本当に大変だったと思います。
そして韓国では、僕の人生を左右する出来事もありました。日本人の友達の家(マンション4階)に遊びにいった時、誤って窓から転落してしまったんです。4階の窓から、まっさかさま。奇跡的に大事には至らず、御覧のようにピンピンしています。もし打ち所が悪かったら、このアナログもあったかどうか…

たった2年間でも、大変なことも楽しいこと、たくさんあったわけで、板垣家は韓国に特別な思いがあります。大学2年の時には初めて家族で帰省しました。当時住んでいたマンションはそのまま、町並みは昔の面影があり、タイムスリップしたようでした。ただ市内中心部は高層ビルが立ち並び、驚くほど都会に。何よりお店の人が日本語を流暢に話しますし、日本のCDが売られていたりと、日本の文化を随所に見ることができて、嬉しくも信じられない思いでした。

またいつの日か家族で訪れたいものです。さらに発展しているんでしょうか。当時住んでいた街だけは、そのままの姿が残っていて欲しいものです。

次はふるさと一番のべっぴん?梅島アナです。