アナ・ログ ~アナウンサーリレーエッセイ~

大好きだったアイドル

2010/02/10
1983年。私が生まれ、病院から自宅に帰ると祖父がすぐに、乳飲み子の私のベッドにアイドルのポスターを貼ったそうです。
三環子、0歳。頭の上には、河合奈保子さんの顔写真。
そして、「こうなるように」と、毎日頭をなで願をかけていたようですが…。

ん!?結果、今は、こうなってます(笑)
(白石城主“片倉小十郎”さんと一緒に撮影!)

そして、小学生のころでしょうか。今度は、宮沢りえさんの写真を渡し、この人は可愛い人だと私に説明していた気がします。今となって察するに、「ああなって」欲しかったんでしょうねぇ。

祖父の願いは、納得のいくものになったのかならなかったのか。多分、なってないのですが、仕方がないので手を打ってもらいましょう。

以上、きょうは、私の“祖父の”好きだったアイドル(笑)でした。

明日からテーマが変わります。
バレンタインデーも迫ってきたということで、皆さんの「甘~い」お話です。トップバッターは原さんです。

大好きだったアイドル

2010/02/09
保育園に通っていた頃に園児のアイドルだったのは仮面ノリダー(「とんねるずのみなさんんのおかげです」という番組で、木梨憲武さん扮するコントキャラ)でした。
子供が好きなライダーに笑いが加わって、子供達のハートをがっつり掴んで離さず、ノリダーの話題で持ちきりの状態でした。この時点で“楽しくなければテレビじゃない”の礎が子供達の心に築き上げられました。

ただ、保育園では21時には寝ましょうと言われていて、たまに就寝・起床時間のチェックがありました。
それだけに、子供達が21時放送の「とんねるずのみなさんのおかげです」を観るのは夜遅すぎるのではという話になるわけです。そんな雰囲気を感じ取って「昨日はノリダー観てません」と園児達なりに話すのですが、給食の時間にノリダーの話題が上がるので、300%見破られていたでしょう。
しかも私の友人の北島直也君にいたっては、厳戒態勢の保育園にノリダーTシャツを着てきて、誇らしげに自慢していました。その勇気に感心しました。

いま、当時の写真を見ると、ノリダーのポーズ(人差し指を立てて、口を『にっ』とやる)をとっているものが多く、恥ずかしいやら懐かしいやら。

今回の写真もアルバイトのセブ君です。彼にノリダーポーズをしてもらおうかと思いましたが、キャラじゃなさそうなのでやめました。

次はラストバッター梅島さんです。

大好きだったアイドル

2010/02/08
私にとっての大好きだったアイドル・・・実は同期の原アナや先輩の林アナと同じなのですが・・・☆

光GENJIのかー君です!!
諸星和己さんの《ローラースケートでバック転》が大好きでした。

確かあれは私が小学生低学年の頃。アイドルとは縁遠い早坂家。歌番組よりも巨人戦をこよなく愛する早坂家は、テレビのチャンネル主導権は父か兄。自然とナイター中継が多くなります。
ですからジャニーズという存在も光GENJIというグループも全く知りませんでした。

しかし、転機は突然やってきました!
ナイター中継が雨で中止だったときのクイズ番組のクイズで、正解が「光GENJI」だったのです。その時正解VTRとして「パラダイス銀河」を歌う光GENJIの映像が流れてきました。

その瞬間、1人の男性がローラースケートを履いたままバック転!これには驚きましたよ。こんなにすごい技を持つ人が存在するんだ!と感動しました。

それ以来ローラースケートを家の中で履いて滑り、光GENJIの真似に夢中になる私☆
もちろんかー君になりきって(*^^)v
バック転とまではいきませんが、アイドル気分で華麗な滑りを披露していたはずです。
ただローラースケートで家のリビングの床が痛んでしまい、怒られましたが・・・。

その後ピンクレディーの存在を知ってからは、ミーちゃんケイちゃんの真似をして踊っていました。ですので光GENJIのかー君は、私のアイドル願望を目覚めさせてしまった人なのだと思います♪

それにしても、仙台放送女子アナに光GENJIファンが多いことがわかりましたね!

お次は、広瀬アナの出番です。
誰が好きだったのでしょう?

大好きだったアイドル

2010/02/05
実は私も・・・。原ポンとは7つも学年が違うのに、あれ?
なんだか嬉しいような?悲しいような?。
でもこれがアイドルというものでしょう。
幅広い世代のファンを持つジャニーズ!恐るべし!

私の大好きだったアイドルも「光GENJI」でした。
原ポンが幼稚園の頃だとしたら、確かに私が熱狂的に好きだった時期は、小学4年生から6年生にかけてでした。

後にも先にも好きなアイドルは「光GENJI」だけ。
ローラースケートをはいて踊る!
当時の私にはそれが衝撃的で、とても格好よく、大好きな憧れのアイドルになりました。

7人もいるからファンの間では、もちろん誰のファンか分かれる。
私は「大沢樹生さん」のファン。素敵な大人の男性にみえて・・・。

光GENJIが出すCDはすべて購入。歌を覚えるだけではあきたらず、ローラースケートまで購入。
外はもちろん、狭い家の中でも光GENJIごっこ。
親には「いい加減にしなさい。とりあげるわよ!」といわれる始末。
とにかく熱狂的な光GENJIっ子でした。

実は、そんな光GENJIファンだった私にはファンに誇れる宝物が今もとってあります。
彼らのプロモーションビデオ。タイトルは「あきすとぜねこ」。
どんな意味かは忘れましたが、300人に1人しか当たらないような代物があたったのです。
めっぽう抽選運やくじ運がない私。もしかしたらその時に人生の大部分の運を使い果たしてしまったのかもしれませんが、私の密かなお宝です。

そんな憧れの彼らも今では、それぞれの道を歩み。
私も一児の母親になり。時が経つ早さを実感。
今度は自分の息子をジャニーズに!なんて考えてはいませんが、アイドルという存在はどの時代も大きいものですね。

大好きだったアイドルで年齢が分かってしまう怖さ!
お次は、早坂まっこアナです。
(★写真:最近我が家には、ママ友が遊びに来ます。写真の女の子はまもなく1歳。息子は年上のお姉ちゃんに興味津々。後頭部が写っているのが息子。髪が薄いんです★)

大好きだったアイドル

2010/02/04
私が小学5年生のときに「硝子の少年」でCDデビューをした、キンキキッズ。

私が一番最初にファンになったのは、彼等だったと思われます。というのも、当時はクラスの女子のほとんどがキンキキッズのファン!! 毎日のように、「○○に出てたよ~」 「昨日の○○かっこよかったよね~」などと話題に上るのですから。

そして当然、二人のうち、どっちが好き?という話題になるわけです。

私はもともとは“堂本光一くん派”だったのですが、友人がみな”堂本剛くんカッコイイ~”と言っているのを聞いているうちに、いつのまにか私も剛くんファンになってしまっていました^^;笑

ま、結局のところ、二人とも好きだったということです。笑

その後は、カレンダーを買ったり、出演するドラマや歌番組は欠かさず見たり、雑誌の切り抜きも集めていました。というぐらい、大好きでした!!

一日に一瞬でも、キンキキッズが出ている番組やCMやチラシを見ることができたら、また偶然お店などでBGMとして流れてきたキンキの音楽を聴くことができたら、『今日は良い日だぁ~』と一人で浮かれていましたっけ。

「ジェットコースター・ロマンス」「フラワー」「愛されるよりも愛したい」「全部だきしめて」など、今でも大好きな曲がいっぱい!これらの曲を聴くと、クラスのみんなでキャーキャー言ってた当時を思い出します^^♪

P.S.写真は、頂き物の”キャビンアテンダント”の格好をした女の子の…ボールペン!! 私達の学年には、将来はキャビンアテンダントになりたい~!と言っていた女の子が多かったような‥^^

明日は、林アナです。

大好きだったアイドル

2010/02/03
写真は、前回の続きです。2月20日放送の「めざましテレビ公認 わがまま!気まま!旅気分「鉄ちゃんと行く!東北ローカル鉄道あったか冬の旅」ロケのものです。津軽鉄道にこれから乗り込むところ。
鉄道アイドル・木村裕子さんと。「鉄ドル」です。
今回のテーマは、アイドルでしたね。
そうそう、ロケのもうひとりのアイドルは、「なまドル」の佐藤唯ちゃんです。訛りアイドルですね。

さてさて、話は遡って・・・・・・
「昭和の情景」です。仙台放送制作で今、DVDが発売されています。なつかしの宮城が甦ります。この話ではありません。
昭和40年代の前半まで遡ってください。
テレビドラマ「氷点」三浦綾子原作ですね。
お笑いの「笑点」ではありません。江戸っ子は、「氷点」が「笑点」になります。
実は、「笑点」は、このドラマ「氷点」からもじってタイトルがつけられたものです。

長い前フリですね。
その「氷点」のアイドル!!!!!!!
そうです。そうです。内藤洋子です。
その「氷点」から4年後の1970年に結婚、女優業もきっぱりと辞めてしまいました。そこが、アイドルたる所以です。
歌手としても「白馬のルンナ」が大ヒットしました。
女優・喜多嶋舞さんのお母さんです。こう言った方が、分かりますかね。

仕事を続けていたら、八千草薫、吉永小百合といった感じの大女優になっていたでしょう。

あれから、第2の内藤洋子を探していますが、
なかなか出てこないですね。
永遠のアイドルは、ひとりで十分ですかね。

あすは、アナウンス部のアイドルと言っておきましょう。飯田菜奈アナウンサーです。

大好きだったアイドル

2010/02/02
実は…アイドルや芸能人にドップリ夢中になった事がないのですが、あえて挙げるとしたら子供の頃のアイドルは「光GENJI」。カラフルな鉢巻、ショートより丈の短いホットパンツを着用しローラースケートで颯爽と歌って踊っていた彼ら。
♪よーお・こ・そ~ここへ~遊ぼうよパラダイス 夢の銀河越えて~♪
と、幼稚園の頃テレビから流れる曲に小躍りしながら一生懸命覚えた「パラダイス銀河」は、今思えば人生で初めて覚えたアイドルソングです。
当時意味も分からずとにかく好きで小躍りしながら歌っていた…らしいです( ̄▽ ̄)
今聞いても、実はかなり盛り上がります。

リアルタイムで覚えているのはこの1曲のみと言うのが残念ですねえ。もっとはまっておけば良かった。

その後SMAP、SPEEDなどのヒットソングを覚えカラオケで歌ったりするようになりましたがやはり私にとって「アイドル」は光GENJIなのかもしれません。

浅見さんはどんなアイドルが好きだったのでしょうか?
あさみさーん!

大好きだったアイドル

2010/02/01
私が最初にアイドルを意識したのは、家のトイレに貼ってあったカレンダーでした。そこには“アグネス・ラム”さんが健康美を惜しげもなく表現していました。初めてアイドルという存在を知った瞬間でもありました。
 私は、キャンディーズ解散時が6歳。ピンクレディー解散(1回目)が9歳の世代。
 キャンディーズはあまり記憶がありませんが、ピンクレディーの振り付けを周りの女子たちが一生懸命マネをしていたのを覚えています。

 その後、アイドルをやや意識しはじめたのは、中学時で小泉今日子さんでした。使用しませんでしたが、下敷きをいつもカバンに入れて登校していました。(こうやってアイドル変遷を書くのって結構恥ずかしいですね・・・笑)

 そして、一番大好きだったアイドルは、「ribbon(リボン)」という3人メンバーのアイドルグループで、その中の永作博美さんでした。高校生のときでした。いまから20数年前です…。(いやぁ、時が経つのは本当に早い!)
 最近は女優として映画やドラマでご活躍ですが、全然変わっていない!それにびっくりです。
 まさに、私にとっての吉永小百合さん的な永遠のアイドルです。


 次回は、原アナウンサーです。

大好きだったアイドル

2010/01/29
今日から始まる新しいテーマは…
『大好きだったアイドル』♪♪♪

『おニャン子クラブ』です!!!
私が9歳の時にデビュー、一世を風靡しました!
寝ても覚めてもおニャン子の歌を口ずさみ、国生さゆりさんの髪型を真似たり、高井麻巳子さんの笑い方を真似たり、渡辺満里奈さんの声を真似たり、一枚20円のブロマイドくじを、ゆうゆの生写真が出るまで買いまくったり…、とにかく大好きでした!

おニャン子の歌や振り付けは、新曲が出るたびに片っ端から練習しました。
「夕やけニャンニャン」でおニャン子の歌のコーナーが始まると、テレビにラジカセを向けて、「録音」の赤いボタンと「再生」の青いボタンを同時に押して、曲が終わるまで、じーっと静かに待ってテープに収録したものです。
VHSやCDがまだありませんでしたので…(;▽;)

必死に覚えた練習の成果は、学校の教室の後方や階段の踊り場で友達に披露。自宅にクラスの女子全員を呼んで「ミニコンサート」を開いたこともありました。
…何だか、私…ジャイアンみたい♪

今でも歌ったり、踊ったり出来そうな気がするのは…、
会員番号4番・新田恵利さん「冬のオペラグラス」、
8番・国生さん「バレンタインデーキッス」、
11番・福永恵規さん「風のInvitation」、
16番・高井麻巳子さんと19番・ゆうゆの『うしろゆびさされ組』の歌全般、
36番・渡辺満里奈さんの「マリーナの夏」…♪

ああ、懐かしい( ̄▽ ̄ )

「夕やけニャンニャン」には「アイドルを探せ!」なるオーディションコーナーがありました。おニャン子のメンバーはそのオーディションを受けてどんどん増えていったのです。私は「高校生になったら、絶対にこのオーディションを受けておニャン子に入ろう!!」と企てていました。
しかし!私が小学5年生の時、おニャン子は衝撃の解散!少女の淡い夢は絶たれたのでした。うう…

「もし、おニャン子オーディションを受けていたら………、私もアイドルに…」なんちゃって。
今も妄想しています( ̄▽ ̄ )

★写真は、届いたばかりの「Wii」。景品で当たりました!

続いては、金澤アナウンサーです!金澤さんが大好きだったアイドル…、興味あります!!