アナ・ログ ~アナウンサーリレーエッセイ~

運動会

2015/10/16
「ああ。確かに私の息子だ(^^;)」と思う場面が、先日、ありました。

秋晴れの10月。土曜日。息子の通う幼稚園で運動会がありました。
保護者として参加する初めての運動会。私の方が、ちょっと緊張。
当の息子は「うんどうかい、たのしみだな~!」と数週間前から目をキラキラさせていました。

年少組の「かけっこ」の時。
息子は最初に走るグループに、早々と登場。
たくさんの保護者がデジカメを構える観客席に最も近い、スタートラインの端に立っていました。

「よーい!」
先生の合図で、前を向き、スタートのポーズをとる息子。

「どん!」
その瞬間!!顔だけ、観客席の余所のお父さん、お母さんたちの方を向いてニッコニコ!!
体はゴールに向かって走っているため、「欽ちゃん走り」に近いフォームに…!

私が構えるデジカメには一度も視線をくれませんでしたが…、
転ぶこともなく、満面の笑みでゴール!

カメラを向けられると思わず視線を送ってしまう…。
思わず、笑顔を振りまいてしまう…。

ああ。確かに私の息子だ(^▽^;)

☆写真は、9月に種を蒔いたのに、頑張って咲いたベランダの朝顔です。

アナ・ログ。「運動会」のアンカーは私でした。
続いてのお題は「ご飯のおとも」。
トップバッターは、木下さんです!

運動会

2015/10/15
運動会と聞いて、気分が高揚する人、あるいは、胃が痛くなる人がいると思います。
私自身は、前者でした。
運動会は楽しくてしょうがありませんでした。

小学生の頃は足が速く、確か私の記憶が正しければ、
小6のとき50m走のタイムが、7秒8。学年で2番目の速さでした。
勉強は何をやっても平均的で、唯一自信があったのが走ることでした。
運動会のリレーはいつもアンカーで、最後尾から一気に抜き去る景色はいまでも覚えています。

スタートのピストルの音。火薬の匂い。前を行く走者の背中と砂埃。
コーナーでスピードを落とさず走る爽快感。そして、フィニッシュテープをトップで駆け抜ける…。
いまでも気分が高揚します。


しかし、30数年が経ち、父となった今。運動会と聞くと胃が痛くなります。
子供の前で走らなければいけない機会があるからです。
頭では疾駆するイメージはできていますが、
実際走るとなると、現実は甘くありません。
50mが怖いのです。
アキレス腱は切れないか?肉離れしないか?
一気に抜き去られて最下位にならないか…。

昔の栄華を取り戻すためには、
日々衰える体に逆走して鍛えないといけません。
それか、幸運が舞い降りてこないか…
先日息子が見つけた四葉のクローバーにお願いしようと思います。笑


次回は寺田アナウンサーです。

運動会

2015/10/14
運動会ですね。
暫く、経験していないですし、行ってないですね。
仙台に来て、びっくりしたことは、年に2回運動会があることでした。学校単独の運動会と学区民運動会です。
今でも、そうですよね。春と秋に。
暫くご無沙汰なので・・・・・・・(笑)

徒競走前の・・・あの胸の高まり!!!!
韋駄天ではありませんでしたので、いつも3位狙いでした。
昼御飯は、お稲荷さん クリ 
スイーツは、アーモンドチョコ 何で?
アーモンドチョコは貴重だったのです。
遠足か運動会以外には、買えなかったのです。 
父兄の方は、「むしろ」を敷いて、そこに座っての
応援です。当時は父兄と言っていたのです。

中学校のときは、ブラスバンド部でしたから、運動会は
晴れ舞台ですよ。
マーチングパレードも披露しましてね。練習の成果を見せるのです。近くの大学から、スーザフォンとそれから肩に付けるモールを借りまして・・・・わが中学校にはなかったのです。
それは、それは、ビッグイベントでした。

高校時代は、もう熱い気持ちは薄れ・・・・
騎馬戦、棒倒しと怪我をしないようにという消極的な気持ちでした。(笑)
棒倒しなんぞは、今はやりませんね。
危険な演技という理由らしいですね。

「玉入れ」「玉転がし」これはいいですね。
それに「綱引き」
これが運動会のビッグ3です。

運動会・昔話でした。

運動会

2015/10/06
青い空に、白い雲、そして、万国旗。
この秋、子どもの運動会で、お、これはこのテーマの写真になる、と思い撮っておきました。

自分の運動会の記憶をたどって思い出されるのが、40年以上前、自分が幼稚園のときの「はじめのことば」です。
開会式での、「これから、うんどうかいをはじめます。ぼくたちは・・・」という、選手宣誓的なものです。
年長組の時、どういうわけか、これを私が一人でやるよう指名されました。

今でこそ、こういう仕事をしていますが、子どもの頃は、人前で話すことが得意なわけでもなく、この子は将来アナウンサーになるにちがいない、などと言われたことも一度もなく、したがって、私の才能を幼稚園の先生が見抜いて、ということは決してなさそうです。

そんな6歳、いや、誕生日前で5歳か?ともかく、そのころから真面目なだけが取り柄だった私。宿題などの、やれと言われたことはとにかくやる、そういう子どもだったので、毎日練習し一生懸命覚えて当日を迎えました。

しーんと静まり返った広い校庭で、マイクを通って反響する自分の声と、無事終わった時の解放感は今でも記憶の片隅にありますが、そのことによって、人前で話す快感を知り、今に至る・・・なんていう、できすぎたストーリーはまったくなく、その後、数々の挫折を経ていくつもの夢が破れ、紆余曲折の末、40年前には思いもしなかった今の私がいます。

ごちゃごちゃどうでもいいことを書きましたが、小さいころから短距離走は得意だったので、運動会は大好きでした。徒競争だけでなく、リレー、騎馬戦、組み体操、棒倒し・・・どれも大いに張り切って取り組んだなあ。でも今は、子どもの運動会の保護者競技にすら、怪我をしそうなので出場しません(苦笑)

明日は、高谷アナウンサーの運動会です。

運動会

2015/10/05
中学高校時代を女子校で過ごした私。
体育祭は、誰も「か弱い」アピールなどしない
ガチンコの戦いでした(笑)。

その6年間の戦いの中で、一番印象的だったのが綱引きです。
これも女子校だからでしょうか…
一番後ろに陣取って、腰に綱を巻き
髪を振り乱して引っ張るのが、強き女子の象徴であり
なかなか希望者の多いポジションでした。

しかし、ここのポジションに立てるのはわずか一人。
私も、もちろん立候補していたのですが
悔しくもそのポジションを任されることはありませんでした。

しかし、一度だけ、最後尾とは真逆の最前列で参加出来た年がありました。
これも迫力がありました。
まさに敵陣を前にしての力勝負です。

ピストルの音とともに、一気に縄を引きます。
腰を落とし、まさに両者一歩も譲らぬ戦いをくりひろげました。

しかし、ある瞬間いきなり縄が私の目の前で切れたのです。
前後に吹っ飛ぶ、女子高生たち。
幸い怪我はありませんでしたが…それ以来、綱引きは中止になりました。

忘れもしない高校1年の運動会。

今だったら、腰をやられてるだろうなぁ…と思いつつ、
次の運動会は、息子の付き添いでしょうか。
体力をつけておかねばと思う、今日この頃です。

写真は、先日の取材先にて。
あさって、みんなのニュースで「野菜の目利き&保存法」をお伝えします。

次は、拓雄アナウンサーです。

運動会

2015/10/02
「運動は得意そうじゃないよねー」
と言われることが多いのですが…

小学6年生の時はリレーの選手でした!!!
こう見えて、短距離走は自信があります\(^o^)/

友達とおにごっこをして遊んでいたら、小学5年生の終わりぐらいから急に速く走れる様になったんです♪
「あれ? 足が速い友達に追いつく!」と自分でもびっくりしたのですが…。
朝、学校に行くまでの道を走り…(笑)
休み時間や放課後は、“おにごっこ”や、“こおりおに”や、“どろけい”などをして走り…
とにかくたくさん走っていたら、いつの間にか♪

体育の授業でタイムを計った時も、クラスの中で上位の秒数になったので、リレーの選手に選ばれました!

小学校卒業前に、一学年から数人しか参加できないリレーの選手に選ばれたことはとっても嬉しかったのを覚えています!
みんなの応援を受けながら、リレーの選手として校庭を一周、懸命に走ったあの時の快感は、今でも覚えています!!

写真は、今でも定期的に会っている小学校からの友人です♪

明日は、梅島アナウンサーです。