アナ・ログ ~アナウンサーリレーエッセイ~

恩師

2017/03/01
出張で泊まったホテルの部屋から富士山が見えました(写真)得した気分。

さて、「恩師」というと、何か人生の大恩人のような響きがありますが、辞書を引くと「教えを受けた先生。師に対する敬称」とだけあるので、大恩人でもなく、感謝もしていない先生のことを書きます。

小2のときの担任。
クラスも担任もかわった4月に、やってきたのは産休補助の若い先生でした。
正式な担任は、産休育休で、スタートから顔も見たことがない状態。
今思うと、なんでそんな人を担任にするのか、と学校に腹も立ってきます。
ただ、産休補助で来てくれていた先生は、とてもいい先生でした。

問題は、学年途中から現れたその正式な担任です。
これが、とんでもない、今で言う「体罰教師」だったのです。

忘れ物をした子を立たせるなどは日常茶飯事。
今でも覚えているのは、黒板の前に並ばされ、両手を挙げて立っていなさい、という罰。
何をした罰かは覚えていないのに、受けた罰は鮮明に覚えているのですから、教育的効果もゼロですね。
この体罰、5分もその姿勢でいたら、二の腕あたりに血がたまって、腕がジンジンと重くなり、大変な苦痛です。
そんなことを小2の子たちにさせていたのです。

もっとひどかったのは、給食で使うランチョンマットを忘れてきた子に、給食を一口も食べさせなかったこと。
給食の時間中泣いていたのが忘れられません。

何度も言いますが、小学2年です。
本当にショックでした。

さすがに何人もの親たちが懇談会か何かで言ったようですが、体罰が止むことはなかったと記憶しています。
それでも、問題が社会化しなかったのは、時代、ということなのでしょうか?

そして、先に書いたように、その先生は産休育休明け、つまり、赤ちゃんのいる女性です。
そんな人が、なぜ小学2年生にこんなひどいことをできたのか?
今この先生はどこでどうしているのか、私は全く知りません。

その後、もう一人、中学のときに「ケツバット(プラスチック)」をする体罰教師に出会いました。
でも、この「ケツバット」、自分も何度もやられましたが、ちっとも心に傷を受けていないどころか、この先生のことは好きなほうに入ります。

明日からは新テーマで稲垣アナウンサーから。

恩師

2017/02/27
恩師と聞いて一番に思い浮かぶのは、
小学校6年の時の担任の先生です。
クラス全員の“お母さん”のような存在で、みんな大好きでした。
先生に憧れて教師を目指し、実際に教師になった友人も数人いるほど。

いつもニコニコしていて、おしゃべりが好きで、
ダメなことはダメだとハッキリ教えながらも、
常に私たちの声に耳を傾け、
最後の小学校生活が楽しく過ごせるようにと、授業中も授業以外でもいろいろな工夫をしてくれました。

また、一人一人の長所を伸ばし、隠れた才能を見つけ、
子ども心に“自信”をつけさせてくれるのも先生の特技。

私自身、帰りの会でオルガンの伴奏を担当したり、
リレーの選手として運動会や地区の連合運動会で走らせてもらったり、
作文コンクールや絵画の作品展に出品させてもらうなど、
いろいろなチャンスを与えてもらって本当に感謝しています。

子どもながらに、先生としてだけでなく、
女性としての“生き方”にも憧れを抱くようになり、今でも一番尊敬する、理想の女性が先生です。

なので、卒業してからも、たまに会いに行っています。
何かを選択しなくてはいけない時や、壁にぶつかった時には、
先生の言葉が心に沁みます…。
失恋の相談をしたこともあったなぁ…笑

そんな、たくさんお世話になった先生の自慢の教え子になりたい…というのが今の願い。
そのためにも、目の前のお仕事を全力で頑張ろうと思います!!


お次は柳沢アナウンサーです。

恩師

2017/02/20
社会人になって10年。
いまだに、年賀状のやり取りが続く恩師に恵まれていることを
とても幸せに思っています。
距離や時間のこともあり、
なかなかお会いすることはできませんが、
年賀状を頂くたびに、あの日のやり取りとともに懐かしい日々を思い出しています。

今思えば、決して「良い子」ではありませんでしたが、
ご迷惑をお掛けしてご指導を頂く機会が多かった分、
恩師との沢山の思い出が出来たのではないでしょうか。
まぁ、勝手な言い分ですが…。

さて、話は少し変わりますが、
先日 仙台市教育委員会の「自分づくり夢教室」という企画で
市内の小学生を前に自分の夢についてお話をさせて頂きました。

その中で思い出したのが、アナウンサーという仕事を目指したきっかけについて。
中学生活の面接で「夢」について聞かれ
「何もない」とは言いづらく…
ぼんやりと憧れていた「アナウンサー」と、ふと口にしたことから始まります。

そこから、その夢を諦めずに持ち続けていられたのも、
途中途中励ましてくれた何人かの恩師の言葉があったから。

小さな夢の種のようなものを現実につなげてくれた、
恩師の存在の大きさを実感しています。

写真は、全然関係ありませんが…蛤と牡蠣の酒蒸し。
日本酒に合います。
そういえば、日本酒の旨さを一から教え込んでくれたのは大学時代の恩師でした(笑)。

明日は、牧さんです。

恩師

2017/02/17
以前、実家に帰省したとき、
小中学の同級生と食事をしました。
彼とは幼馴染みで、よく一緒に遊んでいました。
学校の行事もよく共にしてふざけ合ったことなどを
語り合いました。
いまは市議会議員になったと聞き、
あの彼がと驚きましたが、立派になったと感心しきりでした。

彼とは小学3・4年のとき同じクラスでした。
その時の担任は女性の先生でした。

先生は、夏休みになると
クラスを5~6人のグループに分けて
日替わりで自分のアパートで宿泊させるという
プチ合宿体験をしてくれました。
子供に寄り添いながら指導してくださったのを覚えています。

彼が食事会の時、
先生と久し振りに会って話をしてきたと
その時の写真を見せてくれました。
先生は当時の面影が残っていて、
一気に小学生時の思い出が、フラッシュバックしていくような感覚になりました。

成人するまで沢山の恩師に出会いましたが、
小学3・4年時の恩師は今でも心の中に強く残っています。
機会があったらぜひお会いして当時のお礼をしたいと思っています。

(写真は、幼馴染みと一緒に学校の植樹をした場所で、現在の風景です)


次は、梅島アナウンサーです。

恩師

2017/02/16
小さな小さな「みゆき先生」のお話。

私が小学6年生の時の担任は新任の女性の先生でした。
初めて、みゆき先生が教室に入っていらした時に感じたこと…、
「わあ!小さい!」

みゆき先生は、身長140cm台。教卓に隠れてしまうほど小さな先生でした。

「初めてクラス担任になります!よろしくお願いいたします!!」

小さな体からびっくりするほど、元気で、大きな声で、そして優しい笑顔で挨拶されました。

小学6年生の私とほとんど同じくらいの身長で(いや、私の方が大きかったか?!)、
授業で黒板を使われる時には、体育の踏み台昇降運動で使う台を黒板の前に置き、それに乗って、さらに背伸びをして、体を目一杯に使って、チョークで文字を書かれていた姿が忘れられません。

とても明るく、みんなに慕われていて、学校でみゆき先生と遊ぶのが、私はとても楽しみでした。

3月の卒業式では、児童よりも、誰よりも、みゆき先生が泣いていました。
「初めて担当したクラス。みんなのことはずっと忘れない」とおっしゃっていました。

あれから、もう30年近くが経ちました。

みゆき先生は、今、「ベテラン先生」としてご活躍のことと存じます。

小さい小さいみゆき先生。
大好きだった恩師の一人です(^^)

★写真は、女子高時代の親友で、久々の食事会♪
『二度目の成人式』をお祝いしました!(^▽^)

アナ・ログ。続いては次は金澤アナウンサーです!